日本歴史地名大系 「浄法寺村」の解説
浄法寺村
じようぼうじむら
浄法寺村
じようぼうじむら
東境を
応永二五年(一四一八)三月三〇日に関東管領上杉憲実が長谷河山城守の押妨から鎌倉
浄法寺村
じようぼうじむら
- 京都府:亀岡市
- 浄法寺村
西は
現在集会所に安置されている阿弥陀如来坐像は、もと浄法寺(現廃寺)の本尊で、鎌倉前期の作といわれる。口碑によれば、寺はもと南の山地
天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば、高三一一・一八石、戸数二四、亀山藩領。
浄法寺村
じようほうじむら
現町域の北端に位置し、集落は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報