20世紀日本人名事典 「浅沼藤吉」の解説
浅沼 藤吉
アサヌマ トウキチ
- 生年
- 嘉永5年10月29日(1852年)
- 没年
- 昭和4(1929)年10月13日
- 出生地
- 安房国滝口村(千葉県)
- 経歴
- 善四郎の長男に生まれる。元治元年(1864年)江戸に出て、明治4年日本最初の写真薬品・材料を扱う浅沼商会を東京呉服町に創設。北庭筑波の紹介で内田九一・清水東谷・横山松三郎らの一流写真師を知る。8〜9年頃に王子製紙に託して写真台紙の国産化を進め、10年京都支店を、11年大阪支店を開設した。14年頃から宮内省の写真材料の御用も務めた。また長崎の上野彦馬にスワン乾板を示教されて以来、乾板を輸入し、実弟・吉田勝之助を米国に留学させ帰国を待って、17年平河町に東京乾板製造会社を建設した。江崎礼二が日本最初の水雷爆発試験の撮影に成功したのもこの恩恵によるところが大きい。24年雑誌「写真新報」を復刊。本所横網町にカメラその他付属品の工場を設立し、32年パリ万国大博覧会には自らが渡仏して製品を出品、帰国の際には活動写真機3台を購入して日本に紹介した。その後、浅沼商会は日本橋区本町に本店を置き、乾板や木製の組立暗箱の製造、カメラの輸入など、写真材料・機器の製造・販売で写真工業業界をリードし、その製品は遠くシベリア、東インド、南洋などにも輸出された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報