明治後期から昭和初期に活躍した小説家・劇作家。1873年金沢市生まれ。90年に上京し、
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小説家。明治6年11月4日、石川県金沢生まれ。本名鏡太郎。父清次は腕のいい彫金師で、工名は政光。母鈴は江戸葛野(かどの)流の大鼓(おおかわ)の家中田氏の娘で、鈴の兄松本金太郎は宝生(ほうしょう)流のシテ方として聞こえた能楽師、その子長(ながし)も能の名人として高名である。鏡花文学には、父方の工芸の血と、母方の芸能の血が一つになって流れている、とみなしてよいだろう。1882年(明治15)母鈴は次女やゑ出産後死亡、繊細な神経をもつ少年鏡太郎は心に深い傷を受け、母を恋うる感情は、彼の作品の主要なテーマの一つとなる。
1884年金沢の高等小学校に入学、のちに北陸英和学校に転じ、やがて文学書に親しむようになる。とくに尾崎紅葉(こうよう)の作品に感嘆し、1890年17歳で上京、1891年牛込(うしごめ)横寺町の紅葉宅を訪ねて入門を許され、玄関番として住み込む。1893年京都『日出(ひので)新聞』に漣山人(さざなみさんじん)閲、泉鏡花著として『冠弥左衛門(かんむりやざえもん)』を連載、1894年「なにがし」の署名で『義血侠血(きょうけつ)』を『読売新聞』に掲げる。後者は『滝の白糸』という題名で新派の重要な演目の一つとなる。1894年父清次死去、祖母や弟を抱え生活苦を味わう。1895年『夜行巡査』『外科室』を当時最大の文芸誌『文芸倶楽部(くらぶ)』に発表、一躍新進作家として脚光を浴びる。「鏡花の『夜行巡査』着筆思想大いに見るに足る。前途多望の筆力紙面に躍る」(『文学界』「時文」1895.5)と評する匿名時評も現れた。1896年『照葉(てりは)狂言』を『読売新聞』に連載、それまでの「観念小説」とよばれる鋭い感覚と批評性をはらんだ世界から、少年を主人公とする清新な叙情をたゆたわせる新しい境地へ転じ、『化鳥(けちょう)』(1897)、『辰巳巷談(たつみこうだん)』(1898)、『湯島詣(ゆしまもうで)』(1899)、『高野聖(こうやひじり)』(1900)等々、立て続けに問題作を発表するに及んで、師紅葉を超えるほどの人気作家の地位を獲得する。
1906年(明治39)ごろより活発になる自然主義文学隆盛の影響で、文壇的にはいささか影の薄い存在となるが、能楽や江戸文学への造詣(ぞうけい)の深い鏡花の世界は、母恋いの情、鮮やかな色彩性、夢幻性をあわせもち、この不遇の間にも『春昼(しゅんちゅう)』(1906)、『草迷宮』(1908)といった幻想的な作品に特色をみせる。また『婦系図(おんなけいず)』(1907)、『白鷺(しらさぎ)』(1909)、『歌行燈(うたあんどん)』(1910)、『日本橋』(1914)といった風俗性の濃い作品においても円熟の境地をみせている。大正期に入っては『夜叉(やしゃ)ヶ池』(1913)、『天守物語』(1917)などの戯曲の世界でも、俗世間の迫害に耐える女たちの哀れさを、華やかな幻想性に包み込んで描きあげる。1899年(明治32)、のちに夫人となるすず(神楽坂(かぐらざか)の芸妓(げいぎ)桃太郎)を知り、やがて同棲(どうせい)、紅葉の怒りにあって一度は離別したことは有名。『縷紅新草(るこうしんそう)』(1939)を最後として、昭和14年9月7日永眠した。墓は東京・雑司ヶ谷(ぞうしがや)墓地にあり、戒名幽幻院鏡花日彩居士。前近代の文化とも、また土俗の根とも深くつながるその世界は、今日再評価の声が高く、文学史の書き換えの問題ともあわせて、さまざまな論議の対象となっている。
[笠原伸夫]
『『鏡花全集』全29冊(1973~76・岩波書店)』▽『村松定孝著『ことばの錬金術師泉鏡花』(社会思想社・現代教養文庫)』▽『笠原伸夫著『泉鏡花――美とエロスの構造』(1976・至文堂)』▽『三田英彬著『泉鏡花の文学』(1976・桜楓社)』
明治・大正の小説家。金沢生れ。本名鏡太郎。父清次は腕のいい彫金師で,母鈴は江戸葛野流の鼓打ちの娘。鏡花文学には父方の工人の血と,母方の芸能の血とが一つになって流れていた。1882年母が死亡。84-87年まで,金沢のミッションスクール北陸英和学校に学ぶ。やがて貸本などにより多くの小説類を耽読。90年小説家たらんとして上京,91年尾崎紅葉の門人となる。93年京都《日出新聞》に《冠弥左衛門》を,94年には《読売新聞》に《義血俠血》(上演名《滝の白糸》)を連載,95年《夜行巡査》《外科室》を当時最大の文芸誌の一つであった《文芸俱楽部》に発表するに及んで観念小説と名づけられ,新進作家として脚光をあびる。この間94年には父清次が死去,祖母や弟をかかえて生活苦を味わう。96年《照葉(てりは)狂言》を《読売新聞》に発表,少年を主人公とする清新な抒情で新しい境地をきりひらき,やがて《高野聖(こうやひじり)》(1900)などにおいて,師紅葉を超えるほどの人気作家となる。しかし06年ごろより活発になる自然主義文学の隆盛の影響をうけ,文壇的には不遇となるが,能楽や江戸文学を素養とする鏡花の世界は,亡き母を恋うる感情,華やかな色彩性と夢幻性をあわせもち,不遇の期間にも《春昼》(1906),《草迷宮(くさめいきゆう)》(1908)など幻想的な作品を多く発表する。その一方で《婦系図(おんなけいず)》(1907)をはじめ《白鷺》(1909),《歌行灯》(1910)といった風俗性の濃い作品でもすぐれた業績を示した。さらに大正期には戯曲《天守物語》(1917)などで独特の幻想世界をくりひろげた。1899年,後の夫人すず(神楽坂の芸妓桃太郎,鏡花の母と同名)を知り,1903年同棲,紅葉の怒りにあって一度は離別するが,紅葉没後結婚したことは有名。39年《縷紅新草(るこうしんそう)》を最後に永眠した。今日,鏡花再評価の声が高いが,それは旧来の近代自我史観と呼ばれる文学史の訂正を含むものであり,民俗の根と深くつながる側面においても注目されている。
執筆者:笠原 伸夫
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明治〜昭和期の小説家
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(菅原克也)
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1873.11.4~1939.9.7
明治~昭和期の小説家。本名鏡太郎。金沢市出身。北陸英和学校中退。尾崎紅葉に入門。「夜行巡査」「外科室」などいわゆる観念小説で流行作家となるが,「照葉(てりは)狂言」で浪漫主義的作風に転向。幻想性と花柳情緒に独自の文学世界を築いた。代表作「高野聖(こうやひじり)」「日本橋」「歌行灯(うたあんどん)」「天守(てんしゅ)物語」。
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…泉鏡花の長編小説。1907年(明治40)《やまと新聞》に連載。…
…泉鏡花の中編小説。1908年(明治41)春陽堂より単行出版。…
…明治以後,急激な西欧文明の流入,列強にいちはやく追いつき拮抗しようとする国策の進行によりヨーロッパの近代合理主義が知識人階級を席巻する。文学においても明治後期から大正にかけて自然主義や主知的潮流が中心を占めていくのにひとり拮抗した泉鏡花が,一時の文壇的不遇に耐えながら《高野聖》《眉かくしの霊》《草迷宮》などの小説や戯曲《天守物語》など,質量ともに圧倒的な作品群によって,上田秋成の成果をさらに拡大深化し,日本を代表する幻想文学の巨匠となった。泉鏡花の幻想は,森羅万象との交感,幼少年期の体験に根ざす母性憧憬,伝承的な感受性の伏流など,前近代的な遺産を基盤としながら,一方では近代ヨーロッパの文芸思潮にも通底する,ロマン主義の圧倒的な開花という面をも兼ね備えている。…
…泉鏡花の中編小説。1900年(明治33)2月《新小説》に発表。…
※「泉鏡花」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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