渋川玄耳(読み)シブカワゲンジ

デジタル大辞泉 「渋川玄耳」の意味・読み・例文・類語

しぶかわ‐げんじ〔しぶかは‐〕【渋川玄耳】

[1872~1926]ジャーナリスト佐賀の生まれ。本名、柳次郎。筆名藪野椋十やぶのむくじゅう新聞記者として活躍。著「藪野椋十東京見物」など。

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精選版 日本国語大辞典 「渋川玄耳」の意味・読み・例文・類語

しぶかわ‐げんじ【渋川玄耳】

  1. 新聞記者作家。本名柳次郎。ペンネーム藪野椋十。佐賀県出身。国学院卒。明治四〇年(一九〇七)東京朝日新聞社に入社。「国民新聞」の記者として日独戦争に従軍、のち「大阪新報主幹著書「閑耳目」「東京見物日誌」など。明治五~大正一五年(一八七二‐一九二六

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20世紀日本人名事典 「渋川玄耳」の解説

渋川 玄耳
シブカワ ゲンジ

明治・大正期の著述家,ジャーナリスト,俳人 東京朝日新聞社会部長。



生年
明治5年4月28日(1872年)

没年
大正15(1926)年4月9日

出生地
佐賀県杵島郡西川登村(現・武雄市)

本名
渋川 柳次郎

別名
別筆名=藪野 椋十

学歴〔年〕
東京法学院(現・中央大学)中退

経歴
高等文官試験、弁護士試験に合格し、熊本第6師団法官部に勤務。日露戦争では同師団法官部理事として出征。明治40年東京朝日新聞社に社会部長として入社、大正2年退社。その間、夏目漱石の朝日新聞入社に尽力し、明治43年には「朝日歌壇」を再設して石川啄木選者とした。俳句正岡子規から手紙により指導を受け「新俳句」に所収。熊本第6師団俳句結社・紫溟吟社の幹部でもあった。日露戦争従軍時の俳句日記「従軍三年」をはじめ、随筆「閑耳目」「藪野椋十東京見物」「藪野椋十上方見物」「藪野椋十朝鮮見物」等を著わし、好評を博す。3年対独戦争で「国民新聞」の従軍記者として青島に渡り、戦後青島民生顧問となった。11年「大阪新報」の主幹となるが、まもなく病気のため辞め、以後著述に専念、中国珍籍の収集、翻訳・刊行に携わった。著書に「飩語」、歌集「山東にあり」など。ほかに高田素次編「渋川玄耳句稿」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渋川玄耳」の解説

渋川玄耳 しぶかわ-げんじ

1872-1926 明治-大正時代の新聞記者。
明治5年4月28日生まれ。東京法学院(現中央大),国学院にまなぶ。熊本の第六師団法務官をへて,明治40年東京朝日新聞社社会部長にむかえられる。朝日歌壇を再設し,石川啄木を選者に登用。藪野椋十の筆名で随筆を連載した。のち国民新聞社などにつとめた。大正15年4月9日死去。55歳。佐賀県出身。本名は柳次郎。

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367日誕生日大事典 「渋川玄耳」の解説

渋川 玄耳 (しぶかわ げんじ)

生年月日:1872年4月28日
明治時代;大正時代のジャーナリスト。東京朝日新聞社会部長
1926年没

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