渡辺国武(読み)わたなべくにたけ

改訂新版 世界大百科事典 「渡辺国武」の意味・わかりやすい解説

渡辺国武 (わたなべくにたけ)
生没年:1846-1919(弘化3-大正8)

官僚政治家信濃国長野県諏訪出身伊那県に出仕し,1874年大蔵省に入る。76年高知県令に抜擢され,81年福岡県令となり,大蔵省大書記官を経て,88年大蔵次官。92年第2次伊藤博文内閣の蔵相となり,日清戦争に際してはその財政にあたる。95年子爵を授与され,同年逓相。伊藤政友会結成に参画し,1900年の創立にともない総務委員長に就任する。同年第4次伊藤内閣の蔵相となるが,01年公債依存事業の中止を主張し,閣内対立を招き内閣総辞職の際も一人辞表を提出せず,西園寺公望首相臨時代理の説得に応じて辞職し,政界を引退した。
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「渡辺国武」の解説

渡辺 国武
ワタナベ クニタケ


肩書
蔵相,大蔵次官

旧名・旧姓
旧姓=小池

生年月日
弘化3年(1846年)

出生地
信濃国諏訪(長野県)

経歴
明治7年大蔵省租視寮七等、次いで六等出仕から高知県令。その後、14年福岡県令、大蔵省主計局長、大蔵次官を経て、25年第2次伊藤博文内閣の蔵相となった。33年政友会創立委員として伊藤博文を助け、第4次伊藤内閣の蔵相に再任。38年子爵。

没年月日
大正8年5月11日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渡辺国武」の意味・わかりやすい解説

渡辺国武
わたなべくにたけ

[生]弘化3(1846).5.5. 長野
[没]1919.5.10. 東京
明治期の官僚,政治家。 1874年大蔵省租税寮出仕から高知県令,福岡県令,大蔵省調査局長,主計局長,大蔵次官などを経て,92年には第2次伊藤内閣の蔵相となった。立憲政友会創設にあたっては伊藤博文を助け,第4次伊藤内閣には再び蔵相として入閣した。しかし,彼の日清戦争後の財政処理に関する緊縮財政論は,閣内の不統一を招き,伊藤内閣は崩壊するにいたった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺国武」の解説

渡辺国武 わたなべ-くにたけ

1846-1919 明治時代の官僚,政治家。
弘化(こうか)3年生まれ。信濃(しなの)(長野県)高島藩士渡辺政徳の次男渡辺千秋の弟。高知・福岡県令,大蔵次官などを歴任して,明治25年第2次伊藤内閣の蔵相となり,日清(にっしん)戦争の戦中および戦後の財政を担当した。33年政友会創立委員長。同年第4次伊藤内閣蔵相。大正8年5月11日死去。74歳。

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367日誕生日大事典 「渡辺国武」の解説

渡辺 国武 (わたなべ くにたけ)

生年月日:1846年3月3日
明治時代の官僚;政治家。子爵
1919年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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