日本大百科全書(ニッポニカ) 「源兼行」の意味・わかりやすい解説
源兼行
みなもとのかねゆき
生没年未詳。平安後期の能書家。僧延幹(えんかん)の子。少内記(しょうないき)、伊勢守(いせのかみ)、内匠頭(たくみのかみ)を経て、正四位下・大和守(やまとのかみ)に至る。とくに後冷泉(ごれいぜい)天皇・後三条(ごさんじょう)天皇・白河(しらかわ)天皇の3代(1045~86)にわたり、大嘗会(だいじょうえ)の悠紀(ゆき)・主基屏風(すきびょうぶ)の色紙形(しきしがた)の揮毫(きごう)にあたったことが特筆される。彼の自筆書状が『九条家本延喜式(えんぎしき)』(東京国立博物館)の紙背文書(しはいもんじょ)から発見され、筆跡研究の結果、平等院(びょうどういん)鳳凰堂(ほうおうどう)壁扉画(へきひが)の色紙形が兼行の執筆と判明した。さらに、この色紙形との書風比較により『桂(かつら)本万葉集』『高野切(こうやぎれ)古今集(第二種)』『関戸本和漢朗詠集』『雲紙本和漢朗詠集』など、一連の同筆遺品が兼行の自筆になることが明らかとなっている。
[神崎充晴]