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滝 廉太郎 Taki Rentaro

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

滝 廉太郎

東京生まれ。役人であった父の転勤により、富山・大分にて少年時代を過ごす。幼い頃から音楽に興味を持ち、1894年、最年少(16歳)で東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学。ドイツロシア人ケーベルや、欧州 ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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20世紀日本人名事典の解説

滝 廉太郎
タキ レンタロウ

明治期の作曲家,ピアニスト



生年
明治12(1879)年8月24日

没年
明治36(1903)年6月29日

出生地
東京市芝区南佐久間町(現・東京都港区)

出身地
大分県竹田市

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)専修科〔明治31年〕卒

経歴
芝唱歌会を経て、明治27年高等師範学校附属音楽学校(後の東京音楽学校)に入学。31年東音秋季音楽会でバッハの「イタリア協奏曲」を演奏して注目され、32年より母校の嘱託としてピアノを指導する。34年文部省留学生第1号として渡独、ライプティヒ国立音楽学校に入り、ピアノをタイヒミューラー、対位法をヤダスゾーンに学ぶが、結核となり翌年帰国、23歳の若さで死去。代表作に「荒城の月」「花」「箱根八里」「荒磯」など今日まで愛唱されている歌曲の他、ピアノ組曲「メヌエット」などの器楽曲がある。

出典|日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
(C) 2004 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

滝 廉太郎
タキ レンタロウ


職業
作曲家 ピアニスト

生年月日
明治12年 8月24日

出生地
東京府 芝区南佐久間町(東京都港区)

出身地
大分県 竹田市

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)専修科〔明治31年〕卒

経歴
家は豊後日出藩(大分県日出町)で代々家老を務めた名家。父の吉弘は内務官僚で、その任地であった東京に生まれたが、その後、父の転勤に伴って横浜、富山、東京と各地を転々とする。明治22年父が大分県大分郡長として転出するが、自身は年老いた祖母と病気の姉とともに東京に残った。しかし間もなく祖母、姉が相次いで亡くなったため、父のいる大分に移り、さらに父が同県直入郡長に就任したため、24年一家を挙げて大分県竹田に引っ越した。少年時代から絵画と音楽を好み、手風琴やハーモニカ、バイオリンを巧みに奏でてみせたという。やがて音楽こそが自分の進むべき道と決心し、親戚の滝大吉らの理解を得て、27年高等小学校卒業後に上京。芝唱歌会で小山作之助に師事したのを経て、同年高等師範学校附属音楽学校(のち東京音楽学校)に入学。在学中は小山や同校でピアニストを教えていたラファエル・フォン・ケーベル、幸田延、歌人の中村秋香らの指導を受け、29年同校学友会主宰の音楽会でラインベルガーバラード」のピアノ独奏を行い、その楽才に注目が集まった。また30年頃より作詞・作曲もはじめ、同年3月の「音楽雑誌」に初の作曲といわれる「日本男児」を寄稿。以来、先輩の東くめや師・中村らの作歌に曲をつけたものを発表し、次第に作曲の方面でも頭角を現した。31年同校を卒業後、同研究科に進学。同年東音秋季音楽会でバッハの「イタリア協奏曲」を演奏し、高い評価を受けた。32年より母校の嘱託となり、ピアノの指導に当たる。33年にはピアノ及び作曲研修のためドイツ留学を命ぜられたが、1年間の渡航延期を申し出て受理される。この間にもピアノ曲「メヌエット」などの器楽曲や声楽曲で充実した仕事を残した。特に歌曲・唱歌で顕著な業績を挙げ、組歌「四季」(中でも武島羽衣が作詞した“春のうららの隅田川”ではじまる「花」が有名)や34年の「中学唱歌」に採用された「荒城の月」「豊太閤」「箱根八里」、同年の「幼稚園唱歌」に収録された「鳩ぽっぽ」「お正月」「水あそび」「雪やこんこ」(いずれも作詞は東くめ)などの作品で知られる。なお、「荒城の月」は明治詩壇の第一人者土井晩翠が幼少時を過ごした会津若松城や仙台の青葉城を念頭に入れて作詞したものであると同時に、作曲者である瀧は少年時代を送った竹田の岡城址をイメージして作曲したものだともいわれている。この曲は現在でも小・中学校の音楽教科書に収録され、日本を代表する唱歌の一つとして広く知られている。34年横浜を出発してドイツに渡り、ベルリンで先に留学していた巌谷小波や幸田(安藤)幸らと会ったのち、ライプツィヒ音楽学校に入学、ピアノをタイヒミューラー、対位法をヤダスゾーンに学ぶが、間もなく結核にかかり、病臥。35年に帰国してからは東京を経て、郷里大分に戻り、病を養うが、36年23歳の若さで死去した。遺作はピアノ曲「憾(うらみ)」。他の作品に「春の海」「命をすてて」「四季の滝」「我が神州」「古城」「荒磯の波」などがある。

没年月日
明治36年 6月29日 (1903年)

伝記
天才音楽家滝廉太郎、二十一世紀に蘇る滝廉太郎―夭折の響き清貧の譜―忘れられたニッポン人 楽聖滝廉太郎と父の時代わが愛の譜(うた)―滝廉太郎物語荒城の月―土井晩翠と滝廉太郎 渡辺 かぞい 著海老沢 敏 著加来 耕三 著郷原 宏 著山田 野理夫 著(発行元 近代文芸社岩波書店廣済堂出版新潮社恒文社 ’06’04’93’93’87発行)

出典|日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)
(C) 2010 Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
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