土井晩翠(読み)ドイバンスイ

デジタル大辞泉 「土井晩翠」の意味・読み・例文・類語

どい‐ばんすい〔どゐ‐〕【土井晩翠】

[1871~1952]詩人・英文学者。宮城の生まれ。本名、林吉。詩集「天地有情」「暁鐘」「東海遊子吟」のほか、「イリアス」などの邦訳もある。文化勲章受章。つちいばんすい。

つちい‐ばんすい〔つちゐ‐〕【土井晩翠】

どいばんすい

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精選版 日本国語大辞典 「土井晩翠」の意味・読み・例文・類語

つちい‐ばんすい【土井晩翠】

  1. 詩人、英文学者。宮城県出身。本名林吉。晩年、みずから姓を「どい」と称した。東京帝大在学中「帝国文学」を編集、詩を発表した。卒業後、第一詩集「天地有情」を刊行し、島崎藤村と並称される詩人となる。明治三三年(一九〇〇)第二高等学校教授、以後仙台で創作、学究生活を送る。文化勲章受章。詩集「暁鐘」「東海遊子吟」など。明治四~昭和二七年(一八七一‐一九五二

どい‐ばんすい【土井晩翠】

  1. つちいばんすい(土井晩翠)

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20世紀日本人名事典 「土井晩翠」の解説

土井 晩翠
ドイ バンスイ

明治〜昭和期の詩人,英文学者 第二高等学校名誉教授。



生年
明治4年10月23日(1871年)

没年
昭和27(1952)年10月19日

出生地
宮城県仙台市北鍛冶町

本名
土井 林吉(ツチイ リンキチ)

学歴〔年〕
東京帝大文科大学英文科〔明治30年〕卒

主な受賞名〔年〕
文化勲章〔昭和25年〕,仙台市名誉市民

経歴
質商を営む旧家に生まれ、幼時より「八犬伝」「太閤記」「日本外史」等に親しむ。立町小学校教師佐藤時彦に漢籍を教わった後、家業に従事しつつ書籍を耽読、「新体詩抄」や自由民権思想の影響を受ける。21年、仙台英語塾から第二高等中学校(のち二高)に編入卒業、27年上京。帝大在学中の29年、「帝国文学」第2次編集委員として漢語を用いた叙事詩を発表、藤村と併び称される詩人となった。30年郁文館中学の教師。31年「荒城の月」を作詞。32年処女詩集「天地有情」を出版。外遊後、37年二高教授となり、大正13年には東北大講師を兼任し、英語・英文学を講じ、昭和9年退官。一方、カーライルバイロン翻訳を発表、またギリシャ文学に興味を持ち、15年ホメーロスの「イーリアス」「オヂュッセーア」を全訳出版。この間家族を次々に失い、心霊科学に興味を持つ。20年7月空襲で蔵書3万冊余を焼く。ほかの代表作に「星落秋風五丈原」「万里長城の歌」、詩集に「暁鐘」「東海遊子吟」「曙光」「天馬の道に」がある。25年文化勲章受章。没後、45年顕彰会が晩翠賞と晩翠児童賞を制定した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「土井晩翠」の意味・わかりやすい解説

土井晩翠(どいばんすい)
どいばんすい
(1871―1952)

詩人、英文学者。姓は本来「つちい」と読む。本名林吉。明治4年10月23日仙台・北鍛冶(かじ)町の旧家に生まれた。晩翠の筆名は宋(そう)の詩人范質(はんち)の詩句に由来する。仙台英語塾を経て、第二高等中学に入学、1894年(明治27)に帝国大学英文科に入学。在学中に『帝国文学』の編集委員となり作品を発表。97年に大学卒業、一時郁文館(いくぶんかん)中学の教職につく。翌98年東京音楽学校が『中学唱歌』(1901刊)を編んだとき、『荒城(こうじょう)の月』を作詞、滝廉太郎(れんたろう)の作曲で普及した。99年処女詩集『天地有情(うじょう)』を博文館から出版。「星落秋風五丈原(ほしおつしゅうふうごじょうげん)」など、漢語を駆使した悲壮・哀感漂う叙事詩をつくりだし、以後長く愛唱された。翌1900年(明治33)二高教授として帰郷。32年(昭和7)に長女照子を、翌年長男英一をともに病気のために失った。34年に二高教授を退く。そのころから心霊研究に傾いた。45年の空襲にあい、敗戦後の48年(昭和23)妻に先だたれた。49年仙台名誉市民になり、翌50年文化勲章を受章した。昭和27年10月19日没。英雄歴史を冥想(めいそう)的にうたったものに特色があり、島崎藤村(とうそん)の叙情詩とともに明治浪漫(ろうまん)主義に色彩を添えた。詩集はほかに『暁鐘(ぎょうしょう)』(1901)、『東海遊子吟』(1906)、『曙光(しょこう)』(1919)、『天馬の道に』(1920)、『アジアに叫ぶ』(1932)、『神風』(1937)、また詞華集『晩翠詩集』(1919)などがある。

[古川清彦]

『『日本詩人全集3 土井晩翠他』(1968・新潮社)』『『日本近代文学大系18 土井晩翠他集』(1972・角川書店)』



土井晩翠(つちいばんすい)
つちいばんすい

土井晩翠

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百科事典マイペディア 「土井晩翠」の意味・わかりやすい解説

土井晩翠【どいばんすい】

明治期の詩人,英文学者。本名林吉。姓は〈つちい〉,1934年〈どい〉に改称。仙台生れ。東大英文卒。在学中《帝国文学》の編集委員となり,作品も発表。1899年刊行の第一詩集《天地有情》は世評高く,島崎藤村と併称された。滝廉太郎作曲の《荒城の月》は有名。詩集《暁鐘》《晩翠詩抄》のほか,ギリシア語原典からの《イーリアス》《オデュッセイア》の翻訳をはじめ,カーライルバイロンなどのすぐれた訳業がある。1950年文化勲章。
→関連項目新体詩薄田泣菫

土井晩翠【つちいばんすい】

土井(どい)晩翠

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改訂新版 世界大百科事典 「土井晩翠」の意味・わかりやすい解説

土井晩翠 (どいばんすい)
生没年:1871-1952(明治4-昭和27)

明治期の詩人,英文学者。仙台生れ。本名林吉。1934年〈つちい〉を改称。第二高等中学(後の第二高等学校)を経て1897年東京帝大文科大学英文学科を卒業。在学中から雑誌《帝国文学》の編集委員となり,99年第1詩集《天地有情(てんちうじよう)》を世に問うて好評を博した。なかでも〈荒城の月〉(滝廉太郎作曲)が最も広く知られているが,《三国演義》に材をとった叙事詩〈星落秋風五丈原(ほしおつしゆうふうごじようげん)〉も名高い。第2詩集《暁鐘》(1901),1901年から04年の外遊の産物《東海遊子吟》(1906)などで東西文化の融合を歌い続けた。34年まで第二高等学校教授を務めた。仙台市名誉市民(1949),文化勲章受章(1950)。ギリシア語原典から訳した《イーリアス》《オヂュッセーア》など翻訳の仕事もある。
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土井晩翠 (つちいばんすい)

土井晩翠(どいばんすい)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土井晩翠」の意味・わかりやすい解説

土井晩翠
どいばんすい

[生]明治4(1871).10.23. 仙台
[没]1952.10.19. 仙台
詩人,英文学者。本名,林吉。 1932年頃姓の「つちい」を「どい」と改音。 1897年東京大学英文科卒業。在学中から雑誌『帝国文学』の編集に従事,同派の詩人として名をなした。 98年東京音楽学校編『中学唱歌』のために『荒城の月』を作詞。 99年高山樗牛の協力で処女詩集『天地有情』を刊行,集中の代表作『星落秋風五丈原』 (1898) で,漢詩調による悲壮美の表現に独創性を示した。これにより男性的な調べの叙事詩人としての声価が決定的となり,対立的な詩風の島崎藤村と並んで新体詩の代表的詩人と目された。ほかに詩集『暁鐘』 (1901) ,『東海遊子吟』 (06) ,『曙光』 (19) など。ホメロスの『イーリアス』 (40) ,『オヂュッセーア』 (43) など翻訳もある。芸術院会員。 1950年文化勲章受章。

土井晩翠
つちいばんすい

土井晩翠」のページをご覧ください。

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朝日日本歴史人物事典 「土井晩翠」の解説

土井晩翠

没年:昭和27.10.19(1952)
生年:明治4.10.23(1871.12.5)
明治から昭和時代の詩人,英文学者。本名は土井林吉(昭和9年ごろ土井の読みを「どい」と改める)。仙台生まれ。父は林七,母はあい。東大英文科卒。在学中,雑誌『帝国文学』の編集委員となって作品を発表。明治32(1899)年,第1詩集『天地有情』を刊行し,漢語を多用する男性的な新体詩人として,女性的な詩風の島崎藤村と並称される。特に「丞相(諸葛孔明)病あつかりき」のリフレインを持つ長詩「星落秋風五丈原」が愛誦された。明治33年,二高教授。34年には第2詩集『暁鐘』を刊行した。34~37年,ヨーロッパに外遊。39年の第3詩集『東海遊子吟』以後,詩作には精彩を欠いたが,東西両洋の文学に精通する博識により,評論,翻訳で多数の著作をなした。今日では一般に名曲「荒城の月」(滝廉太郎作曲)の作詞者として知られる。癇癪持ちで,将棋に負けたりすると,盤を引っ繰り返さんばかりにくやしがったという。<著作>『晩翠詩抄』

(古田島洋介)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土井晩翠」の解説

土井晩翠 どい-ばんすい

1871-1952 明治-昭和時代の詩人,英文学者。
明治4年10月23日生まれ。32年「天地有情(うじょう)」で新体詩人の地位を確立。漢文調の叙事詩にすぐれた。「荒城の月」を作詞。二高教授をつとめ,「イーリアス」などを翻訳。昭和25年文化勲章。昭和27年10月19日死去。80歳。宮城県出身。東京帝大卒。本名は土井(つちい)林吉。詩集に「暁鐘」「曙光」など。
【格言など】春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして 千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいづこ(「荒城の月」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「土井晩翠」の解説

土井晩翠
どいばんすい

1871.10.23~1952.10.19

明治~昭和期の詩人・英文学者。仙台市出身。本名土井(つちい)林吉。1934年(昭和9)以降「どい」と称した。幼時から史書・漢籍などに親しむ。東大卒。大学在学中から詩作。1899年(明治32)第1詩集「天地有情(てんちうじょう)」を刊行。漢語脈の叙事詩風の詩編により,和語脈の島崎藤村と併称される存在となる。「荒城の月」の作詞者。二高教授。1950年文化勲章受章。詩集「東海遊子吟」「天馬の道に」「アジアに叫ぶ」。


土井晩翠
つちいばんすい

土井晩翠(どいばんすい)

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旺文社日本史事典 三訂版 「土井晩翠」の解説

土井晩翠
つちいばんすい

1871〜1952
明治〜昭和期の詩人・英文学者
本名林吉。後年は「土井」を「どい」と改音。宮城県の生まれ。東大英文科卒業後,母校二高(現東北大学)の教授となる。在学中より詩を発表し始め,1899年詩集『天地有情』発表以来,島崎藤村と並称された。その漢詩調・男性的詩風は寮歌・校歌に影響を与えた。バイロン,ホメロスの翻訳でも著名である。1950年文化勲章受章。代表作に『荒城の月』『星落秋風五丈原』など。

土井晩翠
どいばんすい

つちいばんすい

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367日誕生日大事典 「土井晩翠」の解説

土井 晩翠 (どい ばんすい)

生年月日:1871年10月23日
明治時代-昭和時代の詩人;英文学者。第二高等学校教授
1952年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の土井晩翠の言及

【土井晩翠】より

…明治期の詩人,英文学者。仙台生れ。本名林吉。1934年〈つちい〉を改称。第二高等中学(後の第二高等学校)を経て1897年東京帝大文科大学英文学科を卒業。在学中から雑誌《帝国文学》の編集委員となり,99年第1詩集《天地有情(てんちうじよう)》を世に問うて好評を博した。なかでも〈荒城の月〉(滝廉太郎作曲)が最も広く知られているが,《三国演義》に材をとった叙事詩〈星落秋風五丈原(ほしおつしゆうふうごじようげん)〉も名高い。…

※「土井晩翠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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