演劇祭(読み)えんげきさい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「演劇祭」の意味・わかりやすい解説

演劇祭
えんげきさい

一定期間、一定の場所にたくさんの演劇を集めて上演する催しで、その多くは周期的に開催される。演劇の自由で華麗な表現形式、それに演劇が本来もっている集団的、祭祀(さいし)的な性格を生かして行われる文化活動で、その規模は、国家的、国際的なものから、学校や職場などが主催する小規模なものまである。古くは、古代ギリシアにおける演劇の上演も、ディオニソス神に捧(ささ)げる年に一度3日間行われる国家的行事の演劇祭であったし、中世宗教劇謝肉祭劇、日本における猿楽(さるがく)、田楽(でんがく)、延年(えんねん)などの芸能も神仏への祈願奉納の演劇祭だったといえる。近代ヨーロッパでも、宗教劇や野外劇を中心に年中行事として行われることも多く、おもに夏季野外、風光明媚(めいび)な観光地、古い町の城や宮殿や大聖堂などが、その場所に選ばれてきた。とくに第二次世界大戦後に盛んになり、たとえばフランスでは1947年にジャン・ビラールが始めたアビニョンの演劇祭は成功した例で、いまなお続き、演劇の民衆化を促進する力となっている。57年に国際演劇協会ITI)の発議により生まれた世界諸国演劇祭(テアトル・デ・ナシオン)は、パリで開催され、演劇の国際交流のみならず、演劇芸術の探求、さらには演劇のもつ根源的なエネルギーの回復に役だっている。そのほかナンシー演劇祭をはじめ、ヨーロッパの各地では毎年相当数の演劇祭が施行されている。日本では1946年(昭和21)に発足した文部省(現文部科学省)主催の芸術祭演劇部門が、毎年秋に開催されている(68年からは文化庁主催)。なお、1982年夏には、早稲田(わせだ)小劇場主宰者鈴木忠志(ただし)が創立した国際舞台芸術研究所の主催で、日本で初めての世界演劇祭が富山県利賀(とが)村(現、南砺(なんと)市)で開かれ、アメリカ、インドイギリスなど6か国10劇団が参加した。これらの演劇祭は、単なる祭典にとどまらず、いわゆる近代的な劇場を拒否して、新しい現代の演劇の場を求め、新しい演技法などを追求する実験的な傾向が強く現れている。

[加藤新吉]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「演劇祭」の意味・わかりやすい解説

演劇祭 (えんげきさい)

周期的に一定期間行われる演劇のフェスティバル(祭典)。歴史的には古代ギリシアにおけるディオニュソス神に捧げる演劇祭(ディオニュシア祭)なども含まれるが,一般には近年とくに欧米を中心に開かれている演劇のための年中行事を指す。19世紀末からの南フランスのオランジュの楽劇祭など古いものもあるが,多くは第2次大戦後に始まった。その先鞭をつけたのが,J.ビラールによる毎夏の南フランスのアビニョン演劇祭(1947以降)とイギリスのエジンバラ芸術祭(1947以降)で,現在最も大規模で国際的にも成果をあげている。その後,欧米各地で多くは夏季に,古い町の野外,古城,寺院などを利用し行われている。有名なのはフランスのナンシー演劇祭,パリの秋季芸術祭,欧州各国まわり持ちの国際演劇祭など。日本では1946年以来毎年10~11月に文化庁主催の芸術祭が催されているが,ほかに82年夏以来,富山県南砺市の旧利賀(とが)村で国際演劇祭が行われている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「演劇祭」の意味・わかりやすい解説

演劇祭
えんげきさい

内外演劇の振興あるいは国際交流事業の一環として,一定期間,特定の地域で開かれる催し。世界的に著名なものは,イギリスのエディンバラ音楽演劇祭,フランスのアビニョン演劇祭やパリで催される政府主催のテアトル・デ・ナシオン (世界演劇祭) など。日本では,1982年7月に鈴木忠志主宰の国際舞台芸術研究所がその本拠地である富山県利賀 (とが) 村で開いた「利賀フェスティバル'82第1回国際演劇祭」が最初の国際演劇祭であり,以後,毎夏開催される。そのほか,88年から隔年で開催される東京国際演劇祭など,今日では各種の演劇祭が開かれるようになった。また文化庁は,芸術祭事業の一つとして,1984年から毎年 10月,地方の劇団による「地域劇団演劇祭」を開催している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む