祖国の利益を外国に売りわたす民族裏切者をいう中国語。清朝時代には,漢族の利益をふみにじって異民族満州王朝支配に奉仕する漢人がそれで,たとえば清朝のために太平天国を討伐した曾国藩は,体制派から同治中興の名臣とたたえられたのにたいし,革命派からは漢奸と非難された。民国時代には日本の侵略に奉仕したものが主で,南京に傀儡(かいらい)国民政府(1940-45)を組織して日本軍の占領地域の支配を代行した汪兆銘をその筆頭とする。汪兆銘は辛亥革命いらいの中国国民党の重鎮,その配下の有力者陳公博,周仏海はともに中国共産党の創立にあずかり,のち国民党に転向してさらに漢奸となった。彼らは〈和平救国〉すなわち日本占領下において日本と主権を争い,物資を争い,民衆を救うと主張したが,その売国の本質をおおうことはできなかった。日本敗北後,一般の戦犯とはべつに〈懲辦漢奸条例〉によって処罰された。
執筆者:狭間 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、清(しん)の時代に、支配民族である満州人に通じた漢人をいったところから、中国で外国侵略者に通じる者をいう。アヘン戦争(1840~42)以来の中国の近現代は、長く民族の存亡の瀬戸際にたたされていた。そこで、外国侵略者の手先となり、率先して民族の利益を売り渡す漢奸は、売国奴、スパイ、民族の裏切り者としてもっとも強く世の非難を浴びた。とりわけ満州事変(1931~32)以後、亡国の危機が強く意識されるにつれ、日本に協力する者に対する非難は高まった。この時期の漢奸としては、「満州国」の総理大臣を務めた鄭孝胥(ていこうしょ)、「東洋のマタハリ」の異名をとった川島芳子(よしこ)、冀東(きとう)防共自治政府の殷汝耕(いんじょこう)などがいるが、最大の漢奸は、第二次世界大戦中、日本側に寝返り、傀儡(かいらい)政権の「国民政府」の首班になった汪兆銘(おうちょうめい/ワンチャオミン)であろう。なお、今日の中国では意味が多少変わり、中国人に限らず、一般的に民族の裏切り者、売国奴をさすようになった。
[倉橋正直]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…1時〈満州国〉女官長を務め,また熱河作戦では〈安国軍司令〉として部隊を率いて活動し,関東軍の宣伝材料に利用された。日本の敗戦後,45年秋,北平(北京)で漢奸として逮捕され,中華民国河北高等法院での裁判を経て,48年春に死刑。【並木 頼寿】。…
※「漢奸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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