潜伏キリシタン(読み)せんぷくキリシタン

百科事典マイペディアの解説

潜伏キリシタン【せんぷくキリシタン】

潜伏したキリスト信者の意。島原の乱後,厳重になった江戸幕府の禁圧政策のもとで,表向き仏教徒をよそおいながら,1873年禁教の高札が廃されるまで信仰を守り続けてきたキリスト教徒。北九州地方に多い。民俗信仰と混合した特異の礼拝形式や習慣をもつ。1865年宣教師プティジャンが長崎大浦で発見後,その多くがカトリック教会に加わった。しかし長崎県五島列島,生月島などには,なお旧習を守って現在に及んでいる信者がいる。プティジャンの発見以後の信徒を隠れキリシタンと呼ぶ。→天草崩れ浦上崩れ

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デジタル大辞泉の解説

せんぷく‐キリシタン【潜伏キリシタン】

江戸幕府の禁教下におけるキリスト教信者。全国に禁令の出された慶長19年(1614)から禁令が撤廃された明治6年(1873)ごろまで、表向きは仏教徒を装いながら、ひそかにキリスト教の信仰を続けた人々をいう。マリア観音納戸神など独自の文化を生み出した。→隠れキリシタン
[補説]平成30年(2018)、原城跡や大浦天主堂平戸天草五島などの集落が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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世界大百科事典内の潜伏キリシタンの言及

【隠れキリシタン】より

…信教自由の現代社会で江戸キリシタン弾圧時代の潜伏形態を続けている人々をいう。同じように潜伏して信仰を伝承しながら1865年(慶応1)大浦天主堂で再渡来したフランス人神父プティジャンと出会い,近代カトリック教会を復活させた人々を〈潜伏キリシタン〉と呼んで区別する。現在隠れキリシタンは長崎県だけに存在し,外海(そとめ)・五島系と生月(いきつき)・平戸系に分けられ組織と生活慣習が異なっている。…

【キリシタン】より

…キリシタンは各地にコンフラリア(講,組)を組織して信仰維持に努めたが,19年(元和5)以降京都,長崎,江戸等の各地で多数の殉教者が出た。幕府のキリシタン検索は寛永年間(1624‐44)にいっそう強化され,島原の乱(1637‐38)後潜伏の宣教者はことごとく捕らわれ,キリシタンは絵踏(踏絵),宗門改,寺請制によって締めつけを受け,大村の郡(こおり)崩れ,濃尾崩れ,浦上崩れのごとく潜伏キリシタン(隠れキリシタン)の摘発は続いた。1873年明治新政府は,欧米外交団の強い談判に押されてキリシタン禁制の高札を撤廃し,キリシタンはおよそ280年ぶりにようやく信仰の自由を許された。…

※「潜伏キリシタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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