日本大百科全書(ニッポニカ) 「天草崩れ」の意味・わかりやすい解説
天草崩れ
あまくさくずれ
江戸後期、肥後国(熊本県)天草で隠れキリシタンが検挙された事件。天草は大矢野島(おおやのしま)、上島(かみしま)、下島(しもしま)などの大小の島々よりなるが、島原・天草一揆(いっき)(1637~1638)に参加したのは大矢野、上島、下島東部であり、下島西・南部のキリシタンはその後も潜伏して信仰を守り続けた。1805年(文化2)大江、崎津(さきつ)、今富、高浜の諸村で5000余人の信仰が露見し、信心具の没収、捕縛などが行われた。翌1806年、幕府の裁決により、「異宗信仰」「宗門心得違い」の者として改めて絵踏(えふみ)を行い、改心を誓って判を押させることにより、この一件は落着した。取調べの過程で天草支配の役人らが、キリシタン信仰を「異宗」とした穏便策をとったのは、過酷な弾圧による一揆を警戒し、また取締りの手落ちを糊塗(こと)するためだったといわれている。同地方のキリシタンはその後も潜伏を続け、1873年(明治6)キリシタン禁制高札撤去以後カトリックに復帰、大江、崎津に天主堂が建てられた。
[村井早苗]
〔世界遺産の登録〕崎津集落は、2018年(平成30)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。
[編集部 2018年9月19日]