天草崩れ(読み)あまくさくずれ

百科事典マイペディアの解説

天草崩れ【あまくさくずれ】

文化年中(1804年−1818年)肥後国天草郡で起こった潜伏キリシタン騒ぎ。同郡今富村(現熊本県天草市)の農家で銅製の古い異像が発見され,代官所筋が探索を続けたところ,1805年(文化2年)今富村ほか3ヵ村で合わせて5千2百余人の潜伏キリシタンが検挙された。幕府は天草の乱の再発を恐れ,検挙者をキリシタンとして扱わず,心得違いの者として改心を誓わせ,踏絵を行って事を済ませた。→浦上崩れ

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世界大百科事典 第2版の解説

あまくさくずれ【天草崩れ】

天草で起こったキリシタン検挙事件。崩れとは検挙事件をいう。1718年(享保3)ころから潜伏キリシタンが発覚,内偵が続けられていたが,1805年(文化2)本格的取調べに踏み切った結果,今富,崎津,大江,高浜の4ヵ村で5205名のキリシタンの存在が判明した。幕府は事件の拡大を避けてキリシタン問題とせず,翌年〈異法信仰の心得違い〉であるとして,絵踏させ,改心を誓わせて赦免とした。浦上崩れ【片岡 千鶴子】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

天草崩れ
あまくさくずれ

江戸後期、肥後国(熊本県)天草で隠れキリシタンが検挙された事件。天草は大矢野島(おおやのしま)、上島(かみしま)、下島(しもしま)などの大小の島々よりなるが、島原・天草一揆(いっき)(1637~1638)に参加したのは大矢野、上島、下島東部であり、下島西・南部のキリシタンはその後も潜伏して信仰を守り続けた。1805年(文化2)大江、崎津(さきつ)、今富、高浜の諸村で5000余人の信仰が露見し、信心具の没収、捕縛などが行われた。翌1806年、幕府の裁決により、「異宗信仰」「宗門心得違い」の者として改めて絵踏(えふみ)を行い、改心を誓って判を押させることにより、この一件は落着した。取調べの過程で天草支配の役人らが、キリシタン信仰を「異宗」とした穏便策をとったのは、過酷な弾圧による一揆を警戒し、また取締りの手落ちを糊塗(こと)するためだったといわれている。同地方のキリシタンはその後も潜伏を続け、1873年(明治6)キリシタン禁制高札撤去以後カトリックに復帰、大江、崎津に天主堂が建てられた。[村井早苗]
〔世界遺産の登録〕崎津集落は、2018年(平成30)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として、世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

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