潮江庄(読み)しおえのしよう

日本歴史地名大系 「潮江庄」の解説

潮江庄
しおえのしよう

江戸時代の潮江村を遺称とする。塩江庄・湖江庄とも。藤原憲長入道の寄進によって九条家領となり、建長二年(一二五〇)に九条道家から前摂政一条実経へ譲与され、一条家領となる(同年一一月「九条道家初度惣処分状」九条家文書)。この時の処分状では「新御領」のなかに上げられており、憲長入道の寄進は道家の代のことであったとみられる。永仁四年(一二九六)泉涌せんにゆう(現京都市東山区)領「湖江」新免雑掌円実と、同本庄下司左衛門尉季範らの間で起きた土地相論について幕府命令が出されているが(同年六月一日「六波羅施行状」泉涌寺文書。以下断らない限り同文書)、当庄のうちの新免分は「修正御祈祷料」として同寺に寄進されたものという(大永三年七月二四日後柏原天皇綸旨)。永仁年間の相論の詳しい内容は明らかではないが、本庄下司季範らとともに争っている瓦林左衛門入道観法は武庫むこ郡の土豪瓦林氏の一族とみられ、近隣土豪の勢力が当庄にも及びつつあった。同寺による当庄新免の領有は南北朝内乱以降も維持され、文和三年(一三五四)に潮江新免を含む同寺領が北朝から安堵されているが(同年一二月九日後光厳天皇綸旨)、貞治六年(一三六七)同寺雑掌に当庄新免の下地一円が渡付けられているなど(同年二月五日主計允秀経・僧朝深連署打渡状)、かならずしも安定はしていなかったようである。


潮江庄
うしおえのしよう

かがみ川下流右岸に成立した最御崎ほつみさき(現室戸市)荘園近世の潮江村を中心とする地に比定される。潮江保ともみえる。

徳治三年(一三〇八)四月一六日の官宣旨案(「蠧簡集拾遺」所収金剛頂寺文書)にみえ、後二条天皇によって最御崎寺金剛・胎蔵両界長日供養法および尊勝陀羅尼・光明真言などの料所として施入されている。この朝廷の保護のもと、最御崎寺領としてしばし安泰であったようであるが、鎌倉末期と思われる年不詳一二月二六日付の綸旨(同書所収最御崎寺文書)に「寺領室津・潮江庄守護代以下輩狼藉事」、元亨四年(一三二四)二月五日付の後醍醐天皇綸旨(同書所収金剛頂寺文書)に「土左国潮江保・室津一色等所被返付最御崎寺也」とみえ、在地の武士勢力に狼藉や押領されていた様子がうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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