改訂新版 世界大百科事典 「炭酸塩補償深度」の意味・わかりやすい解説
炭酸塩補償深度 (たんさんえんほしょうしんど)
carbonate compensation depth
炭酸カルシウムCaCO3は海洋の表層水では過飽和であるが,深くなるほど急激に飽和度を減じ,2500m以深では不飽和になる。CaCO3の溶解度は,水圧が増すほど,水温が低くなるほど,また炭酸ガスの分圧が増すほど増加するからである。深海底の面積の約半分は石灰質軟泥で,残りの約半分はより深い所にあってCaCO3を0~数%しか含まない堆積物(おもに褐色粘土,一部はケイ質堆積物)でおおわれている。ブラムレットM.N.Bramletteはこの両者の境の水深を炭酸塩補償深度(略称CCD)と呼んでいる。この深度ではCaCO3の供給率と溶解率は等しい。さらにCCDはかなり広域にわたる個々の海域で一定であるが,海洋全体としてみると大洋の中央部では深く(水深5~5.5km),大陸周縁では浅く(水深約3km),最大起伏約2kmもある一つの面である。これを炭酸塩補償面(CCS)と呼ぶ。そして,この面と海底地形面との交線を炭酸塩線と呼ぶ。CCDは同一海域でも地質時代によって変動し,暖かい時代には寒い時代より浅いことがわかっている。CCDを海水中のCaCO3の飽和度と溶解で説明しようとする化学者もあるが,海洋現象は複雑なので成功していない。CCDは純粋に無機化学的現象ではなくて,海洋における生物学的・堆積学的・物理学的・化学的な総合的現象である。
海水中や海底におけるCaCO3の溶解には多くの要因が影響する。例えば,生物のCaCO3殻の表面には有機皮膜があって溶解を防ぐ。生物の種が異なると石灰殻の構造が異なり,溶解に対し抵抗の強い生物の殻が堆積物中に選択的に濃集する。とげその他複雑な装飾を持つ殻や薄い殻は,滑らかで均一な組織を持つ殻や厚い殻より溶解しやすい。小さい殻は大きい殻より早く溶解する。CaCO3の溶解は粒子が海水中を降下する間にも起きるが,大部分は海底に到達してから起きる。また,ケイ藻,放散虫などは非晶質の二酸化ケイ素SiO2の殻を持ち,その濃集したケイ質軟泥は重要な深海堆積物である。SiO2は水温が高いほど,またpHが高いほど溶解しやすい。したがって海水中のSiO2殻は深いほど溶解しにくく,おもに水深1000mまでに溶ける。ケイ藻の殻は非常に薄く,放散虫の殻より溶解しやすい。CaCO3殻の場合と同様に,SiO2殻の溶解は生物の種類や大きさなどにより異なる。
このような現世堆積物中の生物の生態学的知識を堆積岩中に含まれる化石群集に応用すれば,堆積岩の堆積当時の環境が推定でき,ひいては地球発展の歴史を解明するのに役立つ。しかし,堆積岩中の化石が部分的に溶解していれば古堆積環境を推定しにくい。このような意味で現世堆積物中の石灰質殻やケイ質殻の溶解現象が重視され,特に広域・莫大な量に達する炭酸カルシウムの補償深度に関して1952年ころから76年ころまでに多くの論文が発表された。
執筆者:内尾 高保
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報