兀庵普寧(読み)ゴッタンフネイ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「兀庵普寧」の意味・わかりやすい解説

兀庵普寧
ごったんふねい
(1197―1276)

鎌倉時代に来日した臨済(りんざい)宗の僧。中国、蜀(しょく)(四川(しせん)省)の人。幼くして出家、蒋山(しょうざん)の癡絶道冲(ちぜつどうちゅう)(1169―1250)に参じ、阿育王山(あいくおうざん)の無準師範(ぶじゅんしはん)の法を嗣(つ)いだ。杭州(こうしゅう)(浙江(せっこう)省)の霊隠山(りんにんざん)、四明(浙江省)の天童山(てんどうさん)の第一座となり、象山(ぞうざん)の霊巌寺(れいがんじ)にいたが、蒙古(もうこ)の侵入にあって1260年(文応1)来朝。博多(はかた)の聖福(しょうふく)寺、京都の東福(とうふく)寺に滞在し、ついで鎌倉の建長寺2世となって禅規を整え、1265年(文永2)宋(そう)へ帰国した。婺州(ぶしゅう)(浙江省)の双林(そうりん)寺、温州(うんしゅう)(浙江省)の江心竜翔(こうしんりゅうしょう)寺に歴住して、元の至元(しげん)13年11月24日示寂。勅諡(ちょくし)は宗覚禅師(しゅうがくぜんじ)。『兀庵寧和尚(ごったんねいわじょう)語録』1巻がある。

[中尾良信 2017年2月16日]

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改訂新版 世界大百科事典 「兀庵普寧」の意味・わかりやすい解説

兀庵普寧 (ごったんふねい)
生没年:1197-1276

中国,宋代臨済宗破庵(ほあん)派の禅僧。西蜀(四川省)に生まれ,出家して癡絶道冲(ちぜつどうちゆう)に参禅,ついで無準師範(ぶしゆんしはん)の法をつぎ,無準門下の四哲の一人となった。北条時頼や同門の円爾(えんに)弁円らは,兀庵の名声を聞いてしきりに招請したが,時あたかも宋朝が元の侵入によって混乱していたので,兀庵は新天地を求め1260年(文応1)渡来し,崇福寺,東福寺に留錫ののち,鎌倉に下って建長寺に住した。時頼は兀庵に参禅し,ついに大悟徹底し,印可を受けたが,時頼没後禅を解するものがいないとして,在留6年にして帰国した。しかし,当代一流の禅僧兀庵の来朝は,日本に本格的禅宗をもたらした点で大きな足跡をのこした。
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百科事典マイペディア 「兀庵普寧」の意味・わかりやすい解説

兀庵普寧【ごったんふねい】

鎌倉時代に来日した中国の臨済僧。蜀(しょく)の人。1260年蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)らの招きで来日。北条時頼(ほうじょうときより)に重んじられ,鎌倉の建長(けんちょう)寺に住す。1263年,時頼没後禅を解するものがいないとして帰国。語録3巻。禅堂の規律を整えたという。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「兀庵普寧」の意味・わかりやすい解説

兀庵普寧
ごったんふねい
Wu-an Pu-ning

[生]?
[没]至元13(1276).浙江,永嘉
中国,元の禅僧。径山の無準師範 (ぶじゅんしばん) の法弟。臨済宗兀庵派の祖。文応1 (1260) 年国乱を避けて日本に来朝し,博多の聖福寺,京都の東福寺に住したのちに北条時頼の招きにより鎌倉建長寺第2世となった。文永2 (65) 年帰国し,浙江省双林寺に住し,至元 13年竜翔寺で 80歳で入寂。諡号宗覚禅師。墨跡は柔らかい筆致のうちに書法を超脱した気高い気韻が漂い,書家とは相違した風格がある。文永7 (70) 年門弟の東巌慧安あての書状,本覚上人あて書状などが残っている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兀庵普寧」の解説

兀庵普寧 ごったん-ふねい

1197-1276 南宋(なんそう)(中国)の僧。
慶元3年生まれ。臨済(りんざい)宗。西蜀(せいしょく)(四川省)の人。無準(ぶじゅん)師範の法をつぐ。文応元年(1260)蘭渓道隆らの招きで来日。博多聖福(しょうふく)寺,京都東福寺,ついで鎌倉建長寺にはいり,北条時頼の帰依(きえ)をうける。時頼の死後,文永2年(1265)帰国した。至元13年11月24日死去。80歳。諡号(しごう)は宗覚禅師。

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旺文社日本史事典 三訂版 「兀庵普寧」の解説

兀庵普寧
ごったんふねい

1197〜1276
鎌倉中期の臨済宗の僧
1260年宋より来日。円爾弁円に迎えられて博多から京都東福寺に入る。北条時頼の招きによって建長寺の住持となり,時頼の帰依をうけた。時頼の死後 '65年帰宋。

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