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兀庵普寧 ごったんふねい Wu-an Pu-ning

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

兀庵普寧
ごったんふねい
Wu-an Pu-ning

[生]?
[没]至元13(1276).浙江,永嘉
中国,元の禅僧。径山の無準師範 (ぶじゅんしばん) の法弟。臨済宗兀庵派の祖。文応1 (1260) 年国乱を避けて日本に来朝し,博多の聖福寺,京都の東福寺に住したのちに北条時頼の招きにより鎌倉建長寺第2世となった。

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デジタル大辞泉の解説

ごったん‐ふねい【兀庵普寧】

[1197~1276]鎌倉中期に来日した中国南宋の臨済宗の僧。諡号(しごう)は宗覚禅師。無準師範(ぶじゅんしばん)に師事して印可を受け、来日後、北条時頼に招かれて建長寺第2世となった。文永2年(1265)帰国。

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百科事典マイペディアの解説

兀庵普寧【ごったんふねい】

鎌倉時代に来日した中国の臨済僧。蜀(しょく)の人。1260年蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)らの招きで来日。北条時頼(ほうじょうときより)に重んじられ,鎌倉の建長(けんちょう)寺に住す。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

兀庵普寧 ごったん-ふねい

1197-1276 南宋(なんそう)(中国)の僧。
慶元3年生まれ。臨済(りんざい)宗。西蜀(せいしょく)(四川省)の人。無準(ぶじゅん)師範の法をつぐ。文応元年(1260)蘭渓道隆らの招きで来日。博多聖福(しょうふく)寺,京都東福寺,ついで鎌倉建長寺にはいり,北条時頼の帰依(きえ)をうける。時頼の死後,文永2年(1265)帰国した。至元13年11月24日死去。80歳。諡号(しごう)は宗覚禅師。

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朝日日本歴史人物事典の解説

兀庵普寧

没年:至元13.11.24(1276.12.30)
生年:慶元3(1197)
鎌倉時代に日本に来た宋の禅僧。臨済宗楊岐派。西蜀(四川省)の出身,幼くして出家して唯識を学び,諸国の禅院を訪ね参禅する。蒋山の痴絶道冲,阿育王山や径山に住した無準師範のもとで修行し,無準の法を嗣ぐ。文応1(1260)年東福寺の円爾らの招きを受け日本に至り,博多の聖福寺に入る。京都を経て鎌倉に至り,北条時頼の帰依を受け建長寺の第2世となる。入寺の際,建長寺本尊は地蔵菩薩であり,自分は禅の悟りを開き仏であることから礼拝する必要はないといったと伝えられる。時頼は兀庵につき熱心に参禅し印可を受け,建長寺においては大陸禅院の規式を守り,多くの日本僧に影響を与えた。著名な弟子として東巌慧安がいる。文永2(1265)年日本に留まること6年で帰国した。宗覚禅師の謚を受け,著書に『兀庵和尚語録』1巻がある。

(原田正俊)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ごったんふねい【兀庵普寧】

1197‐1276
中国,宋代臨済宗破庵(ほあん)派の禅僧。西蜀(四川省)に生まれ,出家して癡絶道冲(ちぜつどうちゆう)に参禅,ついで無準師範(ぶしゆんしはん)の法をつぎ,無準門下の四哲の一人となった。北条時頼や同門の円爾(えんに)弁円らは,兀庵の名声を聞いてしきりに招請したが,時あたかも宋朝が元の侵入によって混乱していたので,兀庵は新天地を求め1260年(文応1)渡来し,崇福寺,東福寺に留錫ののち,鎌倉に下って建長寺に住した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

兀庵普寧
ごったんふねい
(?―1276)

鎌倉時代に来日した臨済(りんざい)宗の僧。中国、蜀(しょく)(四川(しせん)省)の人。幼くして出家、蒋山(しょうざん)の痴絶道冲(ちぜつどうちゅう)に参じ、阿育王山(あいくおうざん)の無準師範(ぶじゅんしはん)の法を嗣(つ)いだ。杭州(こうしゅう)(浙江(せっこう)省)の霊隠山(りんにんざん)、四明(浙江省)の天童山(てんどうさん)の第一座となり、象山(ぞうざん)の霊巌寺(れいがんじ)にいたが、蒙古(もうこ)の侵入にあって1260年(文応1)来朝。博多(はかた)の聖福(しょうふく)寺、京都の東福(とうふく)寺に滞在し、ついで鎌倉の建長寺2世となって禅規を整え、65年(文永2)宋(そう)へ帰国した。(ぶしゅう)(浙江省)の双林(そうりん)寺、温州(うんしゅう)(浙江省)の江心竜翔(こうしんりゅうしょう)寺に歴住して、元の至元(しげん)13年11月24日示寂。勅諡(ちょくし)は宗覚禅師(しゅうがくぜんじ)。『兀庵寧和尚(ごったんねいわじょう)語録』1巻がある。[中尾良信]

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