日本大百科全書(ニッポニカ) 「特権マニュファクチュア」の意味・わかりやすい解説
特権マニュファクチュア
とっけんまにゅふぁくちゅあ
manufacture privilégiée フランス語
ヨーロッパにおける16~18世紀の絶対王制期に、国王から諸特権(製造独占、免税措置、補助金の支給、経営管理と販売活動の保護など)を与えられて設立された各種産業の製造工場。一般に、国王は、軍需産業(武器・火薬製造)や特定の天然生産物(鉱石・塩など)に関する採掘・加工業を管理したほか、奢侈(しゃし)品や新製品の製造についても独占権を主張し特定の人物に営業権を付与した。したがって、当時の人々は、これらの特権マニュファクチュアを「国立の王室マニュファクチュア」manufacture royal d'Etatとよんでいた。イギリスの特権鉱山会社Company of Mines Royalもその一例である。
特権マニュファクチュアが数多く設立されて繁栄したのは、エリザベス1世からジェームズ1世に至る時期(1558~1625)のイギリス、およびルイ14世から大革命に至る時期(1643~1789)のフランスにおいてであった。両国ともに「営業の自由」を宣言したそれぞれの市民革命(ピューリタン革命およびフランス革命)によって、特権マニュファクチュアの息の根は止められており、その繁栄の基礎が前近代的な市場構造(=「初期独占」の仕組み)であったことを示している。
フランスは、イギリスと比較して絶対王制の権力が強固であり、産業への国家の介入が顕著であったこと、また、特権マニュファクチュアの存続期間も1世紀ほど長かったことなどから、フランス特権マニュファクチュアに関する調査・研究が他国に比べて豊富である。それによると、初期と後期とでは、時代環境を反映してそのあり方も変化している。フランスにおける初期の著名な特権マニュファクチュアは、ルイ14世の勅令に基づき、財政総監コルベールによって設立されたものが多い。「ゴブラン王立マニュファクチュア」(1667、じゅうたん)および「ボーベ王立マニュファクチュア」(1667、毛織物・じゅうたん)のほか、ガラス、陶磁器などのマニュファクチュアが続々と創設された。これらの工場建物には、とくに正面に、国王の権力と国王から付与された特権を象徴する装飾が施され、貴族的な偉大さが誇示された。これは、商品生産=流通がしだいに普及し、ブルジョアの勢力を強化する産業社会のなかに、貴族的=封建的秩序を持ち込む意図の現れとして重要である。また、「工場の規律」が制定され、監視による作業服務が強制されたが、これも封建的秩序を労働過程に持ち込むものであった。コルベールは、これらの王立マニュファクチュアから高品質の奢侈品を引き出し、海外輸出によって国家財政の強化を企図していた。その意味で特権マニュファクチュアは、絶対王制の重要な経済的支柱であった。
しかし、18世紀に入ると、フランスの特権マニュファクチュアは、いま一つ別の重要な役割を担うことになった。それは、そのころに世界に先駆けて産業革命を開始したイギリスの新技術を導入するという役割である。1760年創設のサンス王立綿織物マニュファクチュア、1782年創設のル・クルーゾ製鉄マニュファクチュアなどはその典例であり、いずれも株式会社組織で資金を調達し、イギリスから最新の機械・装置を移植して、大規模な王立マニュファクチュアを開設した。ここにおいても、国王の権威が前面に打ち出され、封建的秩序が労働過程を支配した。したがって、依然として前近代的な性格を帯びたものであることに変わりはない。とはいえ、生産力の面では当時のフランスで最先端の工場であった点を重視し、ここにフランス産業革命の開始をみる歴史家の主張も一部ある。しかし、この主張は、フランス革命との関連や19世紀フランス資本主義の発展形態を見落としており、謬説(びゅうせつ)というべきである。
[遠藤輝明]
『中木康夫著「問屋制度と特権マニュファクチャー」(大塚久雄他編『西洋経済史講座 第2巻』所収・1962・岩波書店)』▽『中木康夫著『フランス絶対王制の構造』(1963・未来社)』▽『J・U・ネフ著、紀藤信義・隅田哲司訳『十六・七世紀の産業と政治――フランスとイギリス』(1958・未来社)』