狭山郷(読み)さやまごう

日本歴史地名大系 「狭山郷」の解説

狭山郷
さやまごう

和名抄」に記載なく、郷名として古代に記録されているのは久我家文書(保安三年一一月二四日付右京大夫牒案、保安四年四月二六日付右京大夫宅牒案)に「久世郡 狭山郷椿社里廿一坪一町 廿八坪九段」とあるもののみである。この文書宛先は京職ながらも右京大夫宅の作成、つまり私的家政機関の起草であるので、狭山郷は公的な行政区画としては存在せず、単なる地域の通称として使用されたものではないかと思われる。

古代に狭山郷と称された地域との関係は不明だが、中世石清水いわしみず八幡宮(現八幡市)領狭山郷が石清水文書に散見する。応仁二年(一四六八)には狭山郷に甲乙の輩が乱入し、神人を殺害するという事件が起こり、次のような室町幕府奉行人連署奉書(石清水文書、以下同)が出されている。


狭山郷
さやまごう

地域比定には二説がある。「肥前風土記」に「在郡南」とあること、そのほかから現鳥栖とす儀徳ぎとく町・幸津さいつ町・村田むらた町付近とする説と、旧郷社の四阿屋あずまや神社(現鳥栖市)の社記などから、郡衙の南西、現鳥栖市山浦やまうら町・平田ひらた町・立石たていし町一帯ではないか、とする説である。

「肥前風土記」に、

<資料は省略されています>

とある。景行天皇が此の山で四方を望み、「四方分明さやけかりき、因りて分明の村」といったのを、いまはなまって狭山郷さやまのさとというようになった、という伝承である。


狭山郷
さやまごう

「和名抄」にみえ、高山寺本に「佐夜万」、東急本に「佐也萬」の訓がある。天平二〇年(七四八)四月二五日付の写書所解(正倉院文書)出家を願う人として次の名がみえる。

<資料は省略されています>

村山連という氏姓をもつ有力者が狭山郷にいたことがわかる。「新撰姓氏録」(和泉国神別)にみえる狭山連も、この地を本拠とする氏族であろう。この狭山の地に狭山池が作られ、行基によって池のほとりに狭山池院・尼院が建立されている(→丹比郡 南河内郡狭山町の→狭山池

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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