獅子村(読み)ししむら

日本歴史地名大系 「獅子村」の解説

獅子村
ししむら

[現在地名]平戸市獅子町・飯良町いいらちよう大石脇町おおいしわきちよう高越町たかごえちよう

下方しもがた村の西部にあり、西は海に臨む。北東安満やすまん岳・たいノ鼻があり、沖に小島が浮ぶ。平戸松浦氏家臣の籠手田氏の所領であるシシXexiは一五五七年(弘治三年)から一五五八年(永禄元年)頃にかけて布教が始められ(フロイス「日本史」)、平戸から宣教師が退去させられた後もキリシタンの拠点の一つであったという(一五五九年一〇月五日「フェルナンデス書簡」・同年一一月一日「ガーゴ書簡」イエズス会士日本通信)。一五六一年豊後からイエズス会のアルメイダ修道士が布教のため当地などキリシタンの村を巡回、海上三―四レグワの生月いきつき(現生月町)から大工七人や必要な品を送らせ、教会に祭壇を設けた(同年一〇月一日「アルメイダ書簡」同通信、フロイス「日本史」)。一五六三年フェルナンデス修道士らが訪問した当時、ミゼリコルディア(慈悲の組)とその組頭および教会の世話人がいたという。


獅子村
ししむら

[現在地名]頓原町獅子

長谷ながたに村の北に位置し、北は刀根とね(現掛合町)、東は花栗はなぐり村。北東の刀根村境にうしろ(野田山)、南に寸後すんご山・なか山があり、村内中央部を獅子川が西流し、須佐すさ(現神戸川)に注ぐ。慶長九年(一六〇四)の仙導之内獅子村御検地帳によると田方九町二反余(分米一一二石余)・畑方二町一反余(分米一七石余)、家数一五。正保国絵図に村名がみえる。万治二年(一六五九)の検地帳では田方一二町一反余(分米一六七石余)・畑方二町八反余(分米一五石余)、屋敷数一六(うち御蔵屋敷・庄屋などを除き御役屋敷九)


獅子村
ちしむら

[現在地名]宮津市字獅子

栗田くんだ半島西部にあり、宮津湾に面する村で海岸沿いに南方獅子崎しいざき村に続く。南東の低い峠を越えて表栗田中津おもてくんだなかつ村に通じる道がある。

近世初期には栗田村の内に含まれ、慶長検地郷村帳に「栗田村之内」として「地子村」とみえる。栗田村は同帳によれば高二〇七六・七九石で、ほかに狩場村脇村小田村・宿野村・島蔭村・田井村矢原村を含んでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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