玉水弥兵衛(読み)たまみず・やへえ

朝日日本歴史人物事典 「玉水弥兵衛」の解説

玉水弥兵衛

没年享保7(1722)
生年:寛文2(1662)
江戸中期の京都の陶工楽焼脇窯といわれる玉水焼を興した。号は一元。生い立ちについての詳細は不明であるが,楽家の4代一入と「こいと」という女性との間に庶子として生まれ,幼名を吉三郎といったと伝える。長じて現在の京都府綴喜郡井出町字玉水に窯を開き,姓を玉水と変え,弥兵衛と名乗った。その窯が京都の南にあることから,南楽家と呼ばれたこともある。一入の作風手本とし,また,光悦の作風を慕って,巧みな技で自在に作域を広げた。以後,玉水焼は玉水家によって守られたが,江戸末期に8代をもって窯を閉じた。<参考文献>赤沼多佳「光悦・道入・玉水・大樋」(『陶磁大系』18巻)

(矢部良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉水弥兵衛」の解説

玉水弥兵衛(初代) たまみず-やへえ

1662-1722 江戸時代前期-中期の陶工。
寛文2年生まれ。楽一入の庶子。楽宗入義弟。楽家をでて,母の故郷山城(京都府)玉水で玉水焼という楽焼陶器をはじめた。享保(きょうほう)7年死去。61歳。法名は一元。

玉水弥兵衛(4代) たまみず-やへえ

?-1769 江戸時代中期の陶工。
初代玉水弥兵衛の弟子。はじめて玉水の印をもちいたといわれる。明和6年死去。姓は伊縫(いぬい)。通称甚兵衛。号は楽翁

玉水弥兵衛(3代) たまみず-やへえ

?-1763 江戸時代中期の陶工。
初代玉水弥兵衛の次男。兄の一空が早世したため家督をつぐが,子がなく血筋はとだえた。宝暦13年死去。号は任土斎。

玉水弥兵衛(2代) たまみず-やへえ

1709-1730 江戸時代中期の陶工。
宝永6年生まれ。初代玉水弥兵衛の長男。享保(きょうほう)15年死去。22歳。号は一空。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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