日本歴史地名大系 「琉球国惣絵図」の解説
琉球国惣絵図(間切集成図)
りゆうきゆうこくそうえず
原本 琉米歴史研究会
解説 一八世紀末に作製された極彩色の間切集成図で、河川・道路・集落・公共建築物・村名・地名など詳細な情報が書込まれている。原題を欠くため、琉球国惣絵図(間切集成図)と仮称されている。一七三七―五〇年に実施された元文検地(乾隆検地)では沖縄島とその周辺離島を高精度の測量機器で詳細に測量し、各間切・島ごとに三千分の一の間切・島針図が作製された。これを数間切単位で縮小合成し、一七八〇年代前半の情報を補足した図が当絵図である。絵図は沖縄戦で散逸したが、琉米歴史研究会が米国で発見して持帰った。もとは二五枚組であったとみられるが、現在喜屋武・高嶺・真壁・兼城・東風平・摩文仁・具志頭各間切分、大里・佐敷・知念・玉城各間切分、首里・那覇・久米村・泊村と真和志・小禄・南風原・豊見城各間切分、中城・宜野湾・浦添・西原各間切分、北谷・越来各間切分、国頭間切西側分のほか、伊平屋島の七枚が確認されている。各絵図で大きさにばらつきはあるが、おおむね四九×三五センチ前後。間切を色分けし、道は白、河川は紺色で表し、杣山は山に樹木を描き、集落は木々に囲まれた茅葺建物群で表現している。また首里城・寺社・番所などの公共建築物は瓦葺建物で描いている。ほかに池・馬場・御嶽・塩田・橋・樋川・湊・入江などや、海の間切境である海方切も描かれる。湊には広さ・水深、舟の出入りの可否なども注記される。
間切集成図は沖縄諸島図を作製するための途中作業図と考えられ、間切集成図を縮小合成して一枚の沖縄諸島図に仕上げたのがいわゆる薩摩藩調製図である。同絵図には道・河川のほか、村・番所・御嶽・火立所・旧城などが記号化されて記載されているが、村名・地名・湊などの注記はない。最近確認された嘉慶元年の琉球国之図(尚財団蔵)には、薩摩藩調製図と同一の絵図に間切集成図の村名・地名情報などがすべて注記されている。琉球国之図が間切集成図や薩摩藩調製図の正式名称であろう。なおこれらの絵図は琉球の測量指南書「量地方式集」(一七八五年)を著した和亮弼高原親雲上の作製と考えられている。「球陽」によると、琉球国之図を完成した翌一七九七年、高原親雲上は当絵図を作製した功績で王府から表彰されている。間切集成図は伊平屋島を除く六枚がNPO法人琉米歴史研究会・沖縄県デジタルアーカイブ事業協同組合により刊行されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報