琴弾八幡宮(読み)ことひきはちまんぐう

精選版 日本国語大辞典 「琴弾八幡宮」の意味・読み・例文・類語

ことひき‐はちまんぐう【琴弾八幡宮】

  1. 香川県観音寺市観音寺町にある神社。旧県社。祭神は品陀和気尊(ほんだわけのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)。大宝三年(七〇三豊前国大分県)から宇佐八幡宮勧請(かんじょう)したものと伝えられる。

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日本歴史地名大系 「琴弾八幡宮」の解説

琴弾八幡宮
ことひきはちまんぐう

[現在地名]観音寺市八幡町一丁目

財田さいた川北岸に広がる琴弾公園(国指定名勝)内の琴弾山山頂に鎮座。祭神は品陀和気尊(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・玉依姫命。旧県社。応永二三年(一四一六)権中納言藤原実秋が書記し、将軍足利義持の花押のある七宝山八幡琴弾宮縁起によれば、大宝三年(七〇三)三月一日、西方の空が急に鳴動して黒雲が天を覆い、日月光を失うこと三日、そのとき琴弾山麓の梅掖の浜に一艘の舟があり、その舟より響く妙なる琴の音が嶺松に通い、この地に止住する僧日証に託宣して、朝家守護と異敵降伏の本誓を垂れ給うた。日証は御神体に琴をそえ神殿造営、琴弾八幡宮と称して奉祀したのが当宮の起りであるという。徳治二年(一三〇七)書写の七宝山縁起によると、大宝三年日証によって別当寺として観音寺が建立された。紀州高野山の僧で讃岐に配流となった道範の「南海流浪記」宝治二年(一二四八)一〇月二九日の記事には「琴曳ト云宮マウデ、讃岐内、此宮ハ昔八幡大菩薩筑紫ヨリ此処ニヲチツキテ、京ノ八幡ヘトワタラセ給、其御舟ノ舶ト御琴トヲ宮内ニツクリコメタリ、サテ琴曳ト云、山ガラ京ノヤハタノ山ノ形也、三面ハ海也、殊勝地形」とある。


琴弾八幡宮
ことびきはちまんぐう

[現在地名]土佐市太郎丸 神主

宮崎みやざき山の南麓に鎮座し、祭神は応神天皇。旧郷社。相殿に厳島いつくしま神社・客人まろうど神社を祀る(高知県神社誌)。「土佐州郡志」は琴弾八幡宮および付近の様子を「此為戸波村総社、併祭弁財天、在本村西南宮崎山下、至山上可二町、山南有街衢、長八十間、相伝昔戸波城主永尾因幡守勧請讃州琴御明神、又宝物有釼一鞘」と記すが、「南路志」所引の社記によれば文明元年(一四六九)蓮池はすいけ城主藤原(大平)国豊の在京中、代官掃部入道宗仙が建立したという。

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世界大百科事典(旧版)内の琴弾八幡宮の言及

【観音寺】より

…当寺は,その門前町から発展した観音寺(かんおんじ)市の随一の景勝地,琴弾(ことびき)公園のなかにある。寺伝によると,遠く奈良時代に琴弾八幡宮の別当寺として開創され,下って807年(大同2)には弘法大師がみずから刻んだ観音像を本尊として安置したと伝え,そののち四国遍路が盛行すると,その第69番札所となって庶民の信仰を集めた。明治政府の神仏分離令により,当寺は琴弾八幡宮と分離し,また同宮の本地仏(ほんじぶつ)をまつる第68番札所の神恵院を合体し,いまは四国遍路でただ一つの1ヵ所2ヵ寺の札所となっている。…

※「琴弾八幡宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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