精選版 日本国語大辞典 「環中」の意味・読み・例文・類語 かん‐ちゅうクヮン‥【環中】 〘 名詞 〙 ( 「環」は戸の回転軸である枢(とぼそ)をうけるまるい穴。「荘子‐斉物論」の「枢始得二其環中一、以応二無窮一」による語で、枢が環にはまって、扉が自由に動くところから ) 対立や矛盾を超越して、あらゆる現象に対応する絶対境。〔荘子‐則陽〕 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
普及版 字通 「環中」の読み・字形・画数・意味 【環中】かん(くわん)ちゆう 環の中央の空虚の部分。無窮の変動を可能にする絶対の立場にたとえる。〔荘子、斉物論〕是れも亦た彼なり。彼も亦た是れなり。~彼是(ひし)其の偶(相対)を得る(な)き、之れを樞と謂ふ。樞始めて其の中を得て、以て無窮に應ず。字通「環」の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
朝日日本歴史人物事典 「環中」の解説 環中 生年:生没年不詳 須弥山説擁護の一方の旗頭として論陣をはった江戸後期の臨済宗の僧。須弥山宇宙論を唱え梵暦運動の中心人物であった円通の高弟。無窮子と号し,京都天竜寺の住職。算術に才があり,師の円通に数理の疑義をただしたが解消せず,天保5(1834)年師の没後は師の説に異なる一派をなし,師の説を継ぐ信暁と対立したが,算数に明るい環中派が優勢であった。天保14年『須弥界四時異同弁』を著し,円通の仏説天文学の数理に合わない点をただした。別に『紀元暦書』や藤田頼央と共著の『須弥界暦書』の著がある。また門下の晃厳と共に縮象儀や須弥山儀などの機器を考案・製作している。 (内田正男) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「環中」の解説 環中 かんちゅう 1790-1859 江戸時代後期の僧。寛政2年生まれ。周防(すおう)(山口県)の人。臨済(りんざい)宗。須弥山(しゅみせん)宇宙論をとなえて梵暦(ぼんれき)運動をおしすすめた円通の弟子。師の没後,一派をたてる。晩年,京都天竜寺栖松軒の住持となった。安政6年9月18日死去。70歳。俗姓は高木。字(あざな)は禅機。号は観雲,無窮子。著作に「紀元暦書」「須弥界四時異同弁」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例