改訂新版 世界大百科事典 「産業合理化運動」の意味・わかりやすい解説
産業合理化運動 (さんぎょうごうりかうんどう)
労働生産性の向上によって利潤の増大を図るという意味での一般的な産業の合理化は,いわば資本主義の歴史とともに古い。しかし,歴史的用語としてのそれは,もっぱら1920年代に欧米各国での国民運動として提唱された一連の産業政策をさしている(〈合理化〉の項参照)。この1920年代欧米での動向は大正末期の日本にもいちはやくとり入れられ,テーラー・システム(科学的管理法)の紹介や各企業ごとの能率の増進などが図られ,綿紡績業などで一定の具体的成果をもたらしつつあった。しかし,国民運動としての合理化は,かなりおくれて30年に導入された。この年6月,商工省に臨時産業合理局が設けられ,日本商工会議所,日本工業協会などと呼応して運動が推進されたが,同時に実施された金解禁とともに,1929年秋以降の世界恐慌の渦中に巻きこまれたため,きわめて時宜を逸したものとなった。能率増進やコスト切下げも国際競争との関連で課題となったが,それらも労働強化や失業の増大などと短絡しがちであり,運動の重点はもっぱら企業の統制に照準が合わされた。〈日本的合理化〉といわれたゆえんである。企業合同やカルテルの結成が不況対策ともからんで進められたが,その中心は当時の輸出貿易の過半を占めた中小工業におかれ,工業組合的統制が国家の主導のもとに促進された。しかしこのような統制も,やがては戦時経済統制としての企業統制に吸収されていくことになる(1937年5月臨時産業合理局廃止)。積極的な技術の導入や機械設備の革新などによる本格的な合理化は,日本ではむしろ第2次大戦後の1950年代のことに属する。しかもその後半は生産性向上運動に連動しつつ,その成果がやがては高度経済成長の基盤を形成していくことになるわけである。
執筆者:高橋 衛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報