正保国絵図には湊として記載される。寛永一八年(一六四一)の覚(備中真鍋島の史料)に「白石ニ新百姓御付被成候」とあり、この頃から移住・開発が進み、天和元年(一六八一)頃には一村として扱われるようになったと推定され、貞享年間(一六八四―八八)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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