百人浜(読み)ヒャクニンハマ

デジタル大辞泉 「百人浜」の意味・読み・例文・類語

ひゃくにん‐はま【百人浜】

北海道中南部にある砂浜海岸襟裳えりもの北に幅約1キロメートル、南北約15キロメートルにわたって砂丘が続く。襟裳岬までの観光コースとなっている。

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日本歴史地名大系 「百人浜」の解説

百人浜
ひやくにんはま

えりも岬から北の庶野しよや辺りまでの海浜をいう。砂浜が続き、沼が点在する。この名称は近世以来のもので、「東蝦夷地道中記」に「トワヘツ」の浜を経て北上、「前踏尚砂浜にて百人浜と唱ふ。蝦夷人の名付たるにあらす、古来此辺金堀共百人程横死したる所にて百人浜と唱と云説あり」とみえる。磯谷則吉「蝦夷道中記」(享和元年)も津軽出身の「金堀庄太郎」(金掘庄太夫)シャクシャインにくみして党を結んだが、戦敗れて党主一〇〇名がこの浜で誅殺されたことが呼称の由来とし、秦「地名考」もこの説を踏襲している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「百人浜」の意味・わかりやすい解説

百人浜
ひゃくにんはま

北海道中南部、日高(ひだか)振興局管内のえりも町にある海岸。襟裳岬(えりもみさき)付近から庶野(しょや)に至る約15キロメートルの砂浜海岸で、強風のため赤土草原が目だち、夏季のキャンプ地として知られる。幕末盛岡藩御用船が遭難し、乗組員100人が犠牲となったところから名づけられた。その供養塔がある。日高山脈襟裳国定公園域。

[柏村一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「百人浜」の意味・わかりやすい解説

百人浜
ひゃくにんはま

北海道南部,えりも町の襟裳 (えりも) 岬から北東に続く砂浜海岸。全長約 15km。文化 13 (1816) 年,盛岡藩の御用船が遭難し,乗組員 100人が犠牲になったため,この地名が生れたといわれる。強風時に発生する赤褐色の砂塵防止のため,1953年海岸砂地造林事業が行われた。

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世界大百科事典(旧版)内の百人浜の言及

【襟裳岬】より

…60mの段丘上に1889年設置の灯台(光達距離46km)があり,霧笛信号を発する。東岸のえりも岬漁港に続く15kmの海岸は百人浜と呼ばれ,南部藩御用船が難破し,100余人がこの浜に打ちあげられたことからこの名があると伝えられ,遭難者供養のための一石一字塔がある。岬および周辺地域は1981年日高山脈襟裳国定公園に指定され,観光客が多い。…

※「百人浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」