百済寺跡(読み)くだらでらあと

日本歴史地名大系 「百済寺跡」の解説

百済寺跡
くだらでらあと

[現在地名]枚方市中宮西之町

西方を淀川氾濫原に、南方天野あまの川に断ち切られた高台南辺にある。「続日本紀」延暦二年(七八三)一〇月一六日条に「施百済寺近江播磨二国正税各五千束」とみえる。これは桓武天皇の同月一四日の交野かたの行幸に関連する記事なので、交野の百済寺のことである。「類聚国史」によれば同一二年五月一一日に銭三〇万と長門・阿波両国稲各一千束、同一七年一月一一日河内国稲二千束、弘仁五年(八一四)二月二七日・同七年二月二〇日に綿各一〇〇屯、同八年二月二〇日に綿一〇〇斤が各々施入されており、百済寺の官寺的な性格がうかがえよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「百済寺跡」の解説

くだらでらあと【百済寺跡】


大阪府枚方(ひらかた)市中宮西之町にある奈良時代の寺院跡。滅亡した百済から亡命した王族子孫、百済王敬福(くだらのこにきしのきょうふく)が王家氏寺として天平年間(729~749年)、あるいは8世紀後半に創建したと伝えられる。渡来貴族となった敬福は、陸奥守在任時に陸奥国小田郡で黄金が発見され、その黄金900両を東大寺大仏に塗金するため聖武天皇に貢上したことで知られる。その後、11~12世紀ごろ百済寺の建築物は焼失したが、かつての威容をしのばせる基壇礎石が残っている。1辺約200mの寺域に、南門、中門、東塔・西塔金堂講堂を配し、回廊は中門から東西に延びて両塔を囲んで金堂につながっており、薬師寺伽藍(がらん)配置に似ているが、むしろ新羅(しらぎ)の感恩寺と同じ形式といわれ、古代日本と朝鮮半島の交流を知るうえで重要な遺跡とされる。軒平瓦(のきひらがわら)などの瓦類、塼仏(せんぶつ)などの出土品がある。1941年(昭和16)に国の史跡に、1952年(昭和27)に特別史跡に指定された。京阪電気鉄道交野(かたの)線宮之坂駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

知恵蔵 「百済寺跡」の解説

百済寺跡

2006年2月に西塔跡が発掘された大阪府枚方市の寺院跡。朝鮮半島から亡命した百済王の一族が8世紀後半(奈良時代後半)の創建とされ、東西に塔を配置した薬師寺に近い伽藍(がらん)配置を持つ。西塔の基壇は切り石で丁寧に仕上げた「壇上積(だんじょうづみ)」で築かれていた。当時の宮殿や大寺院に採用された最上級の工法で、一氏族の氏寺としては破格。この時期の百済王氏の隆盛ぶりがうかがわれる。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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