日本歴史地名大系 「百済郡」の解説
百済郡
くだらぐん
- 大阪府:摂津国
- 百済郡
「和名抄」東急本国郡部に「久太良」の訓がある。摂津国一三郡のうち、この郡だけが独自の郡単位の条里制の呼称をもたずに
現存する古代史料によると、当郡内に本貫をもつ氏族としては百済王・竹志・広井造・一難・調らを復原しうるが、いずれも百済からの渡来氏族であり、高麗郡や新羅郡と同様に百済からの渡来者を集めて建郡したことは間違いない。この地に百済人の集住をもたらしたのは、百済の王族の定住による。すなわち百済の義慈王の子の善光王(禅広)らが本国の滅亡後の天智天皇三年(六六四)三月に難波に居住せしめられる(日本書紀)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報