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皇親政治 コウシンセイジ

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デジタル大辞泉の解説

こうしん‐せいじ〔クワウシンセイヂ〕【皇親政治】

天皇・皇族中心の政治形態。天武持統朝から奈良前期にかけて行われた。

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大辞林 第三版の解説

こうしんせいじ【皇親政治】

天皇および皇子・皇孫など皇族を中心とした政治形態。律令時代初期、天武天皇から聖武天皇の頃まで続いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

皇親政治
こうしんせいじ

8世紀の初頭、天武(てんむ)天皇の子および孫たちによって政治の実権が握られ、天皇一族の支配力が強かった時期の政治をさしていう。この間703年(大宝3)から745年(天平17)までは、太政官(だいじょうかん)を総括する官職として知太政官事(ちだいじょうかんじ)が置かれ、刑部(おさかべ)、穂積(ほづみ)、舎人(とねり)、鈴鹿王(すずかおう)の4親王が任命された。これらの4親王はいずれも天武天皇の子ないし孫である。また天武の皇子、高市(たけち)皇子の子である長屋王(ながやおう)は、724年(神亀1)の聖武(しょうむ)天皇即位とともに左大臣となり、政治の重要な地位を握ったが、これも当時の皇親政治の強さを示している。しかし729年(天平1)密告により長屋王が自殺させられると、この陰謀を企図した藤原氏の発言力が強化し、しだいに皇親の発言力は弱体化していった。[鬼頭清明]

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世界大百科事典内の皇親政治の言及

【天武天皇】より

…政治の方針は,太政大臣や左右大臣を置かず,有力豪族の勢力を排除して天皇に権力を集中し,律令体制を推進することにあった。天武は皇后や皇子・皇族の補佐によって政治を執ったので,天武の政治を皇親政治ともいう。その治世のあいだに,天智朝に定めた部曲および山林原野の収公,飛鳥浄御原律令の編纂,八色の姓(やくさのかばね)の制定,地方豪族の武器の収公と兵制の整備,官吏の登用・昇進の制および位階六十階の制定など,つぎつぎに新制を実施し,律令政治を軌道にのせた。…

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