改訂新版 世界大百科事典 「エコロジー運動」の意味・わかりやすい解説
エコロジー運動 (エコロジーうんどう)
エコロジーecologyは生物学の一分野である生態学を意味する英語。人間と自然環境とのバランス,さらに物質循環との相互関係を,人間は生態系という有機体の一員であるという視点からとらえる運動である。このような運動は1960年代後半からヨーロッパ,北アメリカなどの工業化社会で,自然と調和し共存できる生活,経済,社会のあり方を求める人々によって起こされてきた。
1950年代半ばから資本主義世界の工業諸国は急速な経済成長期に入り,重化学工業を中心に産業が成長発展し,国民の生活水準も上昇の一途をたどった。しかし一方で,急激な工業化は自然の生態系や生活環境をいちじるしく破壊し,開発公害,汚染公害などが人間の健康や生物の生存にとって危機的な条件を作りだした。また大量生産や大量消費を善とする社会通念や物質生活の充足を優先する価値観が定着し,高度なテクノロジーの登場により複雑な技術,知識,情報を管理する者と,それから疎外される大衆との分化が進み,管理社会の状況が進行した。こうした時代状況のもとで,エコロジー運動は人間の自殺行為にも比すべき生存基盤の崩壊をくいとめ,さらにその回復を要求することから出発し,しだいに社会的不公正の是正を求めるところまで視野を広げた。そして最近では,破滅的な核戦争の接近をするどく意識し,戦争こそ環境・人間破壊の最大の要因だとして,反戦平和運動に力を注いでいる。またエコロジストはエネルギーや資源の浪費を批判するだけでなく,第三世界における資源の乱開発,そこへの有害な製品,技術,廃棄物のダンピングにも反対している。
エコロジー運動が西側工業化社会を中心に世界的に拡大したのは,70年代以降の特徴だが,ヨーロッパでは古くはR.オーエン,W.モリス,クロポトキン,近年ではA.ハクスリー,E.F.シューマッハーらに思想的源流を得ている。また日本ではエコロジー的思想の祖として,江戸期の思想家,熊沢蕃山,安藤昌益,さらに近代の足尾鉱毒問題で献身した田中正造などの思想や業績が,あらためて評価されている。しかし,現代のエコロジー運動はさらに多様な思想と実践行動をともなって発展している。原水爆体験に加えて,第2次大戦後に過酷な公害体験を経た日本では,被害者を含む反公害・地域住民運動をはじめ,自然保護,反原発,有機農業,安全食品などの諸運動が,広義のエコロジー運動に含まれると解される。また発展途上諸国への公害企業の進出,放射性廃棄物の海洋投棄,熱帯雨林の乱開発などに反対する運動もあげられる。
エコロジー運動の原理の一つは,資本主義対社会主義,保守対革新といった在来の対決軸にこだわらず,中央集権的な政治・経済体制に反対し,地域を中心とした分権,政策決定過程への住民参加など,住民の自治と最大限の直接民主主義の実現を求めることにある。この方向で運動の政治化に一定の成果をあげてきた例として,西ドイツにおける〈緑の党Die Grünen〉の運動がある。70年代後半から各地の反原発運動を足場に発展した西ドイツのエコロジー運動は,地方議会選挙に進出して議席を得たが,83年3月の連邦議会選挙で初めて国会での議席獲得に成功した。〈緑の党〉は議会外の大衆的市民運動と議会内の政治活動の結合を重視し,議会外ではアメリカ中距離ミサイルのNATO諸国への配備反対,酸性雨の被害防止などの運動を強化している。〈緑の党〉はまた女性,障害者,高齢者,外国人労働者など,社会的弱者に対する差別の撤廃と連帯に活動の重点を置いている。フランスでもエコロジストは地方議会に進出し,大統領選挙や国政選挙でも左右両勢力の間でキャスティング・ボートを握るまでに成長した。北欧,北米諸国でもエコロジストは反原発運動の中心に位置し,適正技術の利用,自立した地域経済の実現,核兵器の廃絶,持続的な平和,第三世界の自立のための援助といった目標を追求している。
執筆者:松岡 信夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報