石背国(読み)いわせのくに

日本大百科全書(ニッポニカ) 「石背国」の意味・わかりやすい解説

石背国
いわせのくに

(1)大化前代、国造(くにのみやつこ)の置かれた国の一つ。現在の福島県中央南部、須賀川(すかがわ)市、岩瀬郡地域に置かれたとされる。『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』10の「国造本紀(こくぞうほんぎ)」に、成務(せいむ)天皇のとき建許侶命(たけころのみこと)の子建弥依米命(たけによりめのみこと)が石背国造に任じられたと記されている。

(2)奈良時代の718年(養老2)5月、陸奥(むつ)国のうち白河(しらかわ)(西白河)、石背、会津安積(あさか)、信夫(しのぶ)の5郡を割いて成立したのも石背国と称された。しかし同時に新設された石城(いわき)国ともどもまもなく廃止されたが、廃止の正確な時期については明らかではない。少なくとも720年(養老4)11月から728年(神亀5)4月陸奥国に白河軍団が新設される以前とする説と、蝦夷(えみし)の反乱に関連して721年(養老5)とする説、あるいは724年(神亀1)説などもある。石背は「イワシロ」の訓(よ)みが古くからあるが、国名のもととなった石背郡がのちに磐瀬岩瀬)郡とも書かれているので、「イワセ」と読むのが一般的となった。

誉田 宏]

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百科事典マイペディア 「石背国」の意味・わかりやすい解説

石背国【いわせのくに】

(1)大化(たいか)前代に石背国造が支配した国。《旧事本紀》に石背国造がみえる。のちの陸奥(むつ)国磐瀬(いわせ)郡の地域,現在の福島県須賀川(すかがわ)市・磐瀬郡の地域。(2)718年陸奥国白河・会津など5ヵ郡を割いて設置された律令制下の国。しかし724年ころまでに廃止され,再び陸奥国に併合された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石背国」の意味・わかりやすい解説

石背国
いわしろのくに

福島県の中央南部にあった古代の国名。岩代国とは別で,「いわせのくに」と読む説もある。大化前代,石背国造が支配。大化改新になって陸奥国に編入され,養老2 (718) 年,陸奥国のうち白河,石背,会津,安積 (あさか) ,信夫 (しのぶ) の5郡をさいて設置されたが,のち廃止して再び陸奥国に編入されて,消滅。廃止年代は明らかでないが,神亀1 (724) 年とする説もある。

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