石黒涵一郎(読み)イシグロ カンイチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「石黒涵一郎」の解説

石黒 涵一郎
イシグロ カンイチロウ


肩書
衆院議員

生年月日
安政1年1月(1854年)

出生地
京都府舞鶴町

経歴
漢学、兵学法学を学び、明治9年代言人となって法曹界活躍、18年の大阪事件などの訴訟で弁護した。また山陽自由党組織大同倶楽部に参加、欧米との不平等条約改正では、フランスから来日した法学者ボアソナードの意見書を秘密出版して投獄された。その後自由党、維新会に入った。衆院議員当選4回。

没年月日
大正6年10月

家族
父=石黒 五峯(藩校明倫館教授)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「石黒涵一郎」の解説

石黒 涵一郎
イシグロ カンイチロウ

明治・大正期の政治家 衆院議員。



生年
嘉永7年11月3日(1854年)

没年
大正6(1917)年10月

出生地
京都府舞鶴町

経歴
漢学、兵学、法学を学び、明治9年代言人となって法曹界に活躍、18年の大阪事件などの訴訟で弁護した。また山陽自由党を組織、大同倶楽部に参加、欧米との不平等条約改正では、フランスから来日した法学者ボアソナードの意見書を秘密出版して投獄された。その後自由党、維新会に入った。衆院議員当選4回。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石黒涵一郎」の解説

石黒涵一郎 いしぐろ-かんいちろう

1854-1917 明治-大正時代の政治家。
嘉永(かえい)7年11月3日生まれ。山本唯三郎(たださぶろう)の岳父。明治9年代言人(弁護士)となり,14年岡山で山陽自由党を結成,民権運動を推進する。大阪事件で小林樟雄(くすお)らの弁護人をつとめる。19年山陽英和女学校の校主。31年衆議院議員(当選4回,政友会)。大正6年10月2日死去。64歳。丹後(京都府)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android