神戸新田村(読み)かんどしんでんむら

日本歴史地名大系 「神戸新田村」の解説

神戸新田村
かんどしんでんむら

[現在地名]十四山村神戸新田

西は鳥ヶ地とりがんじ新田村、北はたから川を隔てて四郎兵衛しろうべえ新田村に続く宝永四年(一七〇七)開墾の大新田。「徇行記」によれば、延享二年(一七四五)縄入、村高四九九石余はすべて蔵入地で、田は四二町六反余、畑は二町八反三畝余。「寛文覚書」に戸数二三、人数一一五とある。文化年中(一八〇四―一八)開発者神戸文左衛門の名をとって大宝前おおだからまえ新田から神戸新田と改めた。当初、新田面積一二五町歩、敷金七千八一一両、新田築立は自費鍬下年季一〇年、一一年目から検地を受けて一〇町を一〇〇石として五ツ成の定免という開発条件であったが、宝永四年・同五年・正徳四年(一七一四)・享保七年(一七二二)と大風高潮の被害を受け、面積も四五町歩余となり、破堤修理費など三万五千両を費やした。


神戸新田村
ごうどしんでんむら

[現在地名]松川村神戸

神戸原ごうどはら扇状地扇端に位置する。

信府統記」の「新田開発時節改」によれば「松川組松川村枝郷 神戸村 慶安四年開発」とあり、松川村百姓の手によって開発されたものであることが知れる。松本藩によるこの村の検地は承応二年(一六五三)に施行されている。この検地帳(榛葉春生氏蔵)によれば、実際は慶安三年(一六五〇)から開発が行われていて四ヵ年間にわたる新田開発であり、第一年次三町二段一畝三歩、第二年次五町一七歩、第三年次四町四段八畝三歩、第四年次二町三段一畝三歩、総計一五町二六歩となっており、これにより、村高七七石一斗五升八合の村が誕生した。


神戸新田村
ごうどしんでんむら

[現在地名]松本市笹賀 神戸新田

寛永一五年(一六三八)神戸村から高分れ、慶安四年(一六五一)の検地で一三〇石七斗四升一合と高付けされている。享保一〇年(一七二五)松本藩水野家の改易により翌年幕府領に編入され明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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