日本歴史地名大系 「神戸村」の解説
神戸村
こうどむら
神戸村
こうべむら
慶長国絵図には山陽道上に「コウベ」とみえ、高四二四石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では上部村高四二四石余、幕府領。
神戸村
ごうどむら
現町域の中央部に位置し、東は
明応二年(一四九三)一〇月二〇日の七郎衛門売券案(龍徳寺文書)に「神戸升にて御納可有候」、同八年一二月二八日の六郎右衛門尉売券案(同文書)にも「升ハ神戸升あるへく候」とあり、当地付近での神戸升の使用が知られる。永禄四年(一五六一)織田信長は西美濃に進攻し、同年六月に平野庄内の神戸市場に禁制(高橋宗太郎氏所蔵文書)を出して市場掌握を図った。
神戸村
かどむら
神戸村
かんべむら
神戸村
ごうどむら
神戸村
ごうどむら
神戸村
ごうどむら
神戸村
じんごむら
神戸村
ごうどむら
「和名抄」の流布本によると、高井郡五郷のうちに「
村の西方字
神戸村
ごうどむら
- 神奈川県:伊勢原市
- 神戸村
中央を鈴川が流れ、北は
近世の支配は宝永四年(一七〇七)旗本河内・榊原・蒔田・中根領の四給。元文二年(一七三七)九月の幕府代官斎藤喜六郎役所からの廻状(秦野市久保寺文書)によれば、当村をはじめ
神戸村
ごうどむら
神戸村
ごうどむら
神戸村
ごうどむら
神戸村
ごうどむら
- 埼玉県:羽生市
- 神戸村
旧利根川の乱流原に残る自然堤防および
神戸村
ごうどむら
- 埼玉県:川口市
- 神戸村
神戸村
ごうどむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報