日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリューネワルト」の意味・わかりやすい解説
グリューネワルト
ぐりゅーねわると
Grünewald
(1475ころ―1528)
ドイツの画家。伝記的事実については不明な点が多く、グリューネワルトという名も、画家で美術史家のザントラルトJoachim von Sandrart(1606―88)によって誤伝されたもので、今日ではこれが通称となっている。本名はマティス(マティアス)・ゴタート・ナイタート(ニタート)Matthis (Mathias) Gotthard (Gothart) Neithard (Nithart)とされている。推定によれば、1501~26年アシャッフェンブルク近郊ゼーリゲンシュタットに工房をもち、08年以来マインツ大僧正アルブレヒト・フォン・ブランデンブルクの宮廷画家として働いた。後年、農民戦争で農民側に加担して敗れ、27年フランクフルト、28年ハレに移り、同地で噴水技師として生涯を終えた。現存する作品は少ないが、その表現には、一方では宗教的な情熱と神秘的な象徴主義といったゴシックの伝統、他方では光の充満した空間と個性的な人間像にみるルネサンスの新要素が併存して認められ、これら両要素の対立、矛盾、激突が、彼の表現にまれにみる緊張と感情表出の激しさを生み出している。この特色がとくに著しいのが代表作『イーゼンハイム祭壇画』で、これは単にドイツ美術の至宝であるばかりでなく、この一作によって彼の名を美術史上不朽にしている傑作でもある。
ほかに『キリスト嘲弄(ちょうろう)』(1503。ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク蔵)、『磔刑(たっけい)』(1505。バーゼル美術館)、『マドンナ』(1517~19。シュトゥパハ教区教会)、『聖エラスムスと聖マウリティウス』(1526ころ。ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク蔵)などの作品がある。また若干のデッサンが残っているが、版画の作品はない。
[野村太郎]