福厳寺(読み)ふくごんじ

日本歴史地名大系 「福厳寺」の解説

福厳寺
ふくごんじ

[現在地名]兵庫区門口町

JR兵庫駅の東、山陽本線と阪神高速三号神戸線に挟まれた地にある臨済宗南禅寺派の寺。巨鼇山と号し、本尊十一面観音。もと会下えげ山麓にあったと伝え、柳原やなぎわら木下長者の創建という。後宇多上皇の帰依を受けた約翁徳倹(仏灯国師)勧請開山とし、正安二年(一三〇〇)柏厳可禅が創建(摂津名所図会)。その後南嶺子越が住持となった(瑞石歴代雑記・南嶺和尚道行碑文)。観応二年(一三五一)にはのちに近江永源えいげん(現滋賀県永源寺町)の開山となる寂室元光(正灯国師)が寓居している(寂室録)


福厳寺
ふくごんじ

[現在地名]小牧市大草 丸根

大叢山と号し、曹洞宗。本尊観世音菩薩。遠江国もり(現周智郡)大洞だいとう院の末寺であった。寺伝によると、宝徳二年(一四五〇)大草おおくさ城主西尾道永が洞松どうしよう(現岡山県小田郡)の月泉和泉を招き、野口のぐち村に宝積ほうしやく寺を建て住職としたことに始まる。大洞院の霊岳が弟子の盛禅を月泉のもとで修行させた。月泉は文明二年(一四七〇)に没し、盛禅があとを継ぎ、宝積寺の住持となった。道永は同年、盛禅のために新たに大草の現在地に堂塔伽藍など六坊を三年がかりで建立、宝積寺を撤して移り、同一〇年二月一日に入仏の法会を行い、この時から大叢山福厳寺と称した。


福厳寺
ふくごんじ

[現在地名]柳川市奥州町

奥州おうしゆう町の南西にある旧柳川藩主立花家の菩提寺。梅岳山と号し、黄檗宗、本尊は釈迦如来。江戸時代にはほん小路の南端、堀西側の会所南裏に位置していた。天正一五年(一五八七)立花統虎(宗茂)は柳川に入城すると、養父戸次道雪が葬られた筑前立花山梅岳ばいがく(現新宮町)を柳川城下に移した。当時は曹洞宗で医王いおう(現古賀市)緒庵を開祖とする。しかし慶長五年(一六〇〇)の立花氏改易後寺は壊され、家臣宅地となったという(南筑明覧)。元和六年(一六二〇)の宗茂柳川再封後に再興され、藩主家代々の菩提寺に定められた。寛文九年(一六六九)曹洞宗より黄檗宗に転じ、寺名を道雪の法名にちなみ梅岳山福厳寺と改めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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