福崎(読み)ふくざき

改訂新版 世界大百科事典 「福崎」の意味・わかりやすい解説

福崎[町] (ふくざき)

兵庫県中南部,神崎郡の町。1956年福崎町田原村,八千種村が合体。人口1万9830(2010)。中央を市川が貫流し,周囲は標高50~200mの山地に囲まれる。川沿いに国道312号線(生野街道),JR播但線が走り,中心の西田原は生野街道沿いの農産物集散地として発展した。1975年中国自動車道と姫路に至る播但連絡有料道路が開通して福崎インターチェンジが設けられ,工業化,住宅地化が進行している。工業は播磨工業地域の関連下請けが多く,弱電が中心で,工業団地の造成も行われ,中小企業大学校や中小企業総合センターも建設されている。明治末から昭和30年代まで用水路溜池をつくって開墾が行われ,米麦の生産が盛んであったが,現在は兼業農家が大多数を占める。姫路や神戸方面への通勤者も多く,人口は増加している。北端の七種(なぐさ)山(683m)は七種滝,奇岩などがある景勝地である。柳田国男生家町立神崎郡歴史民俗資料館も整備されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「福崎」の意味・わかりやすい解説

福崎(町)
ふくさき

兵庫県中南部、神崎郡(かんざきぐん)にある町。1925年(大正14)町制施行。1956年(昭和31)田原、八千種(やちくさ)の2村と合併。市川河谷が開け、市川に沿ってJR播但線(ばんたんせん)と国道312号が走る。また中国自動車道と播但連絡道路が交差するインターチェンジがあって、急激な都市化が進み、工業団地の造成や中小企業大学校関西校が開設された。田原地区は民俗学者柳田国男(やなぎたくにお)の出身地で、生家と町立「柳田國男・松岡家記念館」、隣接して町立「神崎郡歴史民俗資料館」がある。神積寺(じんしゃくじ)は田原文殊(もんじゅ)で知られ、本尊薬師如来(にょらい)坐像は平安時代の作で国の重要文化財。面積45.79平方キロメートル、人口1万9377(2020)。

大槻 守]

『『福崎町史』全4巻(1990~1995・福崎町)』


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百科事典マイペディア 「福崎」の意味・わかりやすい解説

福崎[町]【ふくさき】

兵庫県中南部,神崎(かんざき)郡の町。主集落は市川中流に臨み,播但(ばんたん)線が通じる。中国自動車道と国道312号線(生野街道)が交差する。周辺の農産物を集散,近年は工業化が進んでいる。木工業,酒造が行われ,マツタケを多産。景勝の七種(なぐさ)山,七種滝がある。45.79km2。1万9830人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の福崎の言及

【福岡[市]】より

…戦国時代,兵火で町は焼失し,1587年(天正15)に豊臣秀吉が町割りを行い復興した。1600年(慶長5)に入部した黒田長政が福崎に城を築き,その城下を黒田氏ゆかりの備前国邑久(おく)郡福岡にちなんで福岡と命名した。市街の中央を流れる那珂川右岸の商人町博多と,左岸の52万石の城下町福岡が合体して福岡市となったが,駅名,港名も博多で,博多織,博多人形,博多どんたくなど〈博多〉を冠したものが多い。…

※「福崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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