福智院
ふくちいん
[現在地名]奈良市福智院町
清冷山と号し、真言律宗。本尊地蔵菩薩。天平八年(七三六)奈良興福寺の僧玄
が現社地付近に清水寺を建立したことに始まるとも、もと福智荘にあり、その後現在地に移され、建長六年(一二五四)に供養されたともいう。「奈良坊目拙解」に引く「大乗院尋尊大僧正御記」に「建長六年六月廿二日福智院地蔵菩薩造立供養、竜華院寺務大乗院実信大僧正建立也」とあるが、寺伝は叡尊の再興という。江戸時代には肘塚村・法華寺村(現奈良市)のうちに三〇石の朱印地が認められ、「庁中漫録」所収の慶長七年(一六〇二)徳川家康朱印状に「和州福智院之事、為興隆於添上郡肘塚村法華寺村之内三十石、永寄附之、可専坊舎修造、抽祈祷精誠者也」とある。
福智院
ふくちいん
[現在地名]高野町高野山
南院の東方、五之室谷の通りの北側、光台院に向かう南北の通り(光台院谷)の南に位置する。現在の建物は明治二一年(一八八八)の火災後に再建されたもので、文化一〇年(一八一三)の高野山細見絵図では五之室谷南側に南光院・高樹院に挟まれて記され、現在の福智院の地には聖方の覚証院が描かれる。現福智院は行人方の福智院に覚証院、一心院谷の行人方福生院が合併してできた寺で、本尊を愛染明王とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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