日本歴史地名大系 「福田遺跡」の解説
福田遺跡
ふくだいせき
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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広島市東区福田にある青銅器を埋納した遺跡。広島市北東に位置する木の宗山(413m)に宝物があるという言い伝えがあり,1891年に中腹の金の段という大立石の前方直下を掘ったところ,平石の下から銅鐸1,銅剣1,銅戈1が出土した。銅鐸は高さ18.9cmで,表面は黒みをおびて光沢があり,身部の文様は3条の横帯で区切られ,上部に杏仁様の重圏文を二つならべ眼をおもわせる。この文様から横帯文銅鐸,邪視文銅鐸などと称せられる。銅剣は全長39cmで2片に折れ,切先部も欠損する。日本で製作された第2段階の変形細形銅剣で,関(まち)の上手に一双の小孔がある。銅戈は全長29cmで,鋒部が折れまがり,樋には綾杉文が鋳出される。大石の下から発見されたというその出土状態や銅鐸と銅剣,銅戈がともに出土した点などから,古くから注目された。本例のような福田型の銅鐸の鋳型は,近年九州から発見された。
執筆者:潮見 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
広島市東区安芸(あき)町福田にある、銅鐸(どうたく)などを出土した弥生(やよい)文化の遺跡。同所木ノ宗山の南傾斜面にある巨石の基部の積み上げられた石群中から、1891年(明治24)銅鐸、銅剣、銅戈(どうか)が発見された。これらの遺物の周辺には、木炭まじりの土が詰まっており、同時に素焼土器1個が発見されたといわれており、銅鐸が意識的に埋納されていたことが推定される。発見された銅鐸は横帯文(おうたいもん)式の古い型式で小型のものである。身の一面の上部には、扁桃(へんとう)形の双眼が浮線で描かれているが、他面には扁桃形の双眼はなく、渦文がその部分に描かれている。銅剣は変形細形銅剣で、銅戈は広鋒(こうほう)といわれている。
[鎌木義昌]
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