1987年に登録された世界遺産(文化遺産)。紀元前221年に初めて中国の統一を成し遂げ、中国史上初の皇帝となった秦の始皇帝(紀元前259~前210年)は、その強大な権力と富を用いて自らの巨大な墳墓・始皇陵を建設した。この陵墓は陝西省西安市の北東郊外36.5kmにあり、墳丘は東西345m、南北350mの底辺と76mの高さを持つ截頭方錐形である。その築造には38年の歳月と1日に70万人の労働力を要したといわれている。この陵墓の周辺には、おびただしい数の副葬墓がつくられた。秦の始皇陵の存在は『史記』や『漢書』など数々の歴史書に記されていたものの、その場所はわからず、『漢書』には秦末期の動乱期に、項羽により始皇陵が破壊されたとも記されているが、その存在が明らかになったのは1974年のことである。このとき発見されたのは、兵馬俑(へいばよう)坑と呼ばれる始皇陵の東1.5kmにある陪葬(ばいそう)坑の一部で、ここから古代の戦車、馬、等身より少し大きい男性(兵士)の陶製の像が多数出土した。この最初の発見に続き第2、第3、第4の兵馬俑坑も見つかり、埋蔵物の数は戦車100台以上、馬約600体、兵士像7000体に及んだ。これらは大半が東の方向を正面に整然と並んでいる。古代中国では、死者を埋葬する際に副葬する木製、土製の人形(ひとがた)を「俑」と呼んだが、この兵馬俑のほかにも、銅車馬坑、珍禽異獣坑、馬厩坑などとともに5万点に及ぶ副葬品が次々と発見され、改めて秦始皇陵の壮大さが明らかになった。また、始皇帝の亡骸が安置された墳丘の地下には、「水銀の川や海がつくられた」との「史記」の記述があり、長い間、誇張された伝説とされてきたが、発掘後の調査で周囲から水銀の蒸発があったことが確認され、水銀の川や海の実在が改めて論議されている。◇英名はMausoleum of the First Qin Emperor。中国語で、秦はチン、始皇陵はシーホワンリンと発音する。