小説家。旅順(現、中国大連(だいれん)市)に生まれる。少年時代から尼崎(あまがさき)共和製鋼所や長崎県の炭鉱などで少年工として働きながら旧制中学卒業資格検定試験に合格。陸軍の電波兵器技術養成所卒業。第二次世界大戦中は軍国少年であったが、戦後は天皇制否定の論理への関心から19歳で日本共産党に入党。長崎地区、九州地方委員会などの常任として活躍。それらを素材にして党の官僚制のもとでの下部党員の苦しみを描いた『書かれざる一章』(1950)や『病める部分』(1951)を『新日本文学』に発表する。それらは文壇的には好評をもって迎えられたが、共産党内から激しく批判され、党から除名される一因となった。悪質な反党分子として当時のいわゆる所感派といわれた党主流派から糾弾された。だがスターリン主義批判の先駆者として若い世代を中心に熱狂的支持を受け、その間に『双頭の鷲(わし)』(1952)や太平洋戦争前夜の九州の海底炭鉱で働く朝鮮人炭鉱夫の悲惨な運命を描いた『長靴島』(1953)や長編小説『虚構のクレーン』(1960)などの力作を次々に発表する。それらに共通するのは社会の底辺で生きる人々への共感と彼らを虐げているものへの怒りであった。それらのテーマを集約した作品としては被差別部落問題、在日朝鮮人問題、被爆者差別の問題を正面から扱った『地の群れ』(1963) や朝鮮戦争を扱った『他国の死』(1965)、『赤い手毱(てまり)』(1966)の廃鉱の痛烈な現実風景などがある。その他にスターリン主義下のモスクワを背景にソビエト内部の矛盾点を描いた国際小説『黒い森林』(1967)、あるいは唯一の時代小説『丸山蘭水楼の遊女たち』(1976)や現代の東京の若者群像を扱った『心優しき叛逆者(はんぎゃくしゃ)たち』(1973)、さらには殺人の冤罪(えんざい)で7年間も拘置所につながれた男の孤独な内面を描いた長編小説『憑(つ)かれた人』(1981)なども重量感のある力作。詩集としては『井上光晴詩集』(1976)、『十八歳の詩集』(1998)などがある。
その後の作品に、原子力発電所をテーマにした『西海原子力発電所』(1986)、『輸送』(1989)がある。そのほかに、長編『地下水道』(1987)、作品集『サラダキャンプ、北へ』(1987)、『虫』(1988)などがあり、さらに1988年(昭和63)には『暗い人』第1部が刊行された(第2部は1989年、第3部は亡くなる半年ほど前の1991年刊行)。没後の1992年(平成4)にも、長編『自由をわれらに』や『詩集 長い溝』が刊行されている。これらの創作活動と並行して全国各地に文学伝習所を開設し、没するまで長年後輩の育成に努めたことも特記に値しよう。
[松本鶴雄]
『『井上光晴作品集』全3巻(1965・勁草書房)』▽『『井上光晴新作品集』全5巻(1974~1980・勁草書房)』▽『『井上光晴第三作品集』全5巻(1974~1980・勁草書房)』▽『『井上光晴詩集』(1976・思潮社)』▽『『井上光晴長編小説全集』全15巻(1983~1984・福武書店)』▽『『西海原子力発電所』(1986・文芸春秋)』▽『『地下水道』(1987・岩波書店)』▽『『サラダキャンプ、北へ』(1987・筑摩書房)』▽『『虫』(1988・潮出版社)』▽『『暗い人』第1~3部(1988、1989、1991・河出書房新社)』▽『『輸送』(1989・文芸春秋)』▽『『自由をわれらに』(1992・講談社)』▽『『詩集 長い溝』(1992・影書房)』▽『『十八歳の詩集(書誌・年譜付き)』(1998・集英社)』▽『『書かれざる一章』『荒廃の夏』『死者の時』『明日 一九四五年八月八日・長崎』(集英社文庫)』▽『『丸山蘭水楼の遊女たち』『地の群』(新潮文庫)』▽『『残酷な抱擁』(講談社文庫)』▽『『胸の木槌にしたがえ』(中公文庫)』▽『『新編・ガダルカナル戦詩集』(朝日文庫)』▽『『眼の皮膚』(講談社文芸文庫)』▽『高野斗志美著『井上光晴論』(1972・勁草書房)』▽『影書房編集部編『狼煙(のろし)はいまだあがらず――井上光晴追悼文集』(1994・影書房)』▽『原一男著『全身小説家――もうひとつの井上光晴像』(1994・キネマ旬報社)』▽『山川暁著『生き尽くす人――全身小説家・井上光晴のガン一〇〇〇日』(1997・新潮社)』▽『井上光晴著、松本健一編・解説『人間図書館 井上光晴』(1998・日本図書センター)』▽『片山泰佑著『「超」小説作法――井上光晴文学伝習所講義』(2001・影書房)』
昭和・平成期の小説家,詩人
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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…第3は,原爆がもたらした悲劇を庶民の日常生活をとおして書き,文学史に残る傑作と称される井伏鱒二の《黒い雨》(1965‐66)のように,被爆者ではないが,広島,長崎と出会った良心的な文学者たちによって,さまざまな視点から広島,長崎,原水爆,核時代がもたらす諸問題と人間とのかかわりを主題とする作品が書かれた。作品に佐多稲子《樹影》(1970‐72),いいだもも《アメリカの英雄》(1965),堀田善衛《審判》(1960‐63),福永武彦《死の島》(1966‐71),井上光晴《地の群れ》(1963),《明日》,高橋和巳《憂鬱なる党派》(1965),小田実《HIROSHIMA》(1981)などがある。なかでも特筆すべきは大江健三郎(1935‐ )の存在で,1963年に広島に行き《ヒロシマ・ノート》(1964‐65)を発表して以来,〈核時代に人間らしく生きることは,核兵器と,それが文明にもたらしている,すべての狂気について,可能なかぎり確実な想像力をそなえて生きることである〉とする核時代の想像力論を唱え,《洪水はわが魂に及び》(1973),《ピンチランナー調書》(1976),《同時代ゲーム》(1979),《“雨の木(レインツリー)”を聴く女たち》(1982)などの作品を書き,国内だけでなく外国でも高く評価された。…
※「井上光晴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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