窪田 静太郎
クボタ セイタロウ
- 肩書
- 枢密顧問官,中央社会事業協会副会長
- 生年月日
- 慶応1年9月22日(1865年)
- 出生地
- 備前国(岡山県)
- 学歴
- 帝国大学法科大学(現・東大)〔明治24年〕卒
- 学位
- 法学博士〔大正5年〕
- 経歴
- 内務省に入り、明治36年衛生局長、43年行政裁判所評定官、大正11年長官となった。昭和7年枢密顧問官となり、以後、懲戒裁判所長官、文官高等懲戒委員長、議定官、宗秩寮審議官、日本赤十字社理事などを歴任した。一方、明治33年貧民研究会を発足、41年中央慈善協会設立に関与し、大正10年に改組された中央社会事業協会の副会長となり、以後、社会事業の育成に尽力した。「窪田静太郎論集」がある。
- 没年月日
- 昭和21年10月6日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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窪田 静太郎
クボタ セイタロウ
明治〜昭和期の社会事業家 枢密顧問官;中央社会事業協会副会長。
- 生年
- 慶応1年9月22日(1865年)
- 没年
- 昭和21(1946)年10月6日
- 出生地
- 備前国(岡山県)
- 学歴〔年〕
- 帝国大学法科大学(現・東大)〔明治24年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士〔大正5年〕
- 経歴
- 内務省に入り、明治36年衛生局長、43年行政裁判所評定官、大正11年長官となった。昭和7年枢密顧問官となり、以後、懲戒裁判所長官、文官高等懲戒委員長、議定官、宗秩寮審議官、日本赤十字社理事などを歴任した。一方、明治33年貧民研究会を発足、41年中央慈善協会設立に関与し、大正10年に改組された中央社会事業協会の副会長となり、以後、社会事業の育成に尽力した。「窪田静太郎論集」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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窪田静太郎 (くぼたせいたろう)
生没年:1865-1946(慶応1-昭和21)
内務官僚出身の社会事業家。岡山に生まれ,帝国大学法科大学卒業後内務省に入る。参事官,衛生局長,行政裁判所長官,枢密顧問官を歴任した。この間,伝染病予防法(1897),癩予防法(1907)の制定に尽力するとともに,1900年貧民研究会を設立し,08年中央慈善協会の創設にも努めた。国際衛生・人口会議に政府代表として出席したのを機に,欧米の保健制度や救済制度を調査し,日本に紹介した。《貧民救済制度意見》(1900)の中で,窮民救助より社会の公益を優先して考え,防貧の重視を説いている。また,社会連帯を東洋的な〈中庸の道〉と結合して,社会事業に〈危険思想〉である社会主義を予防する役割を期待した。
執筆者:土井 洋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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窪田静太郎
くぼたせいたろう
(1865―1946)
社会事業家。岡山県生まれ。東京帝国大学法科大学卒業。内務省の要職を経て枢密顧問官にも任ぜられた。この間、伝染病予防法(1897年施行、1999年廃止)、癩(らい)予防法(1907年施行、1996年廃止)などの制定に功績があった。在野の関係者と協力して貧民研究会(1900)を設立、中央慈善協会(1908)創設にも尽力した。欧米の救済制度、保護制度の調査・紹介も行い、社会連帯主義、社会事業を社会主義への予防策と考える立場をとった。
[小倉襄二]
『日本社会事業大学編・刊『窪田静太郎論集』(1980)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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窪田静太郎 くぼた-せいたろう
1865-1946 明治-昭和時代前期の官僚,社会事業家。
慶応元年9月22日生まれ。窪田善之の長男。内務省衛生局長,行政裁判所長官,枢密顧問官を歴任。この間伝染病予防法,癩(らい)予防法の制定につくし,欧米の保健制度を紹介する。明治41年中央慈善協会を設立。昭和21年10月6日死去。82歳。備前(岡山県)出身。帝国大学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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窪田 静太郎 (くぼた しずたろう)
生年月日:1865年9月22日
明治時代-昭和時代の官僚;社会事業家
1946年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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