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和歌山市に鎮座。彦五瀬(ひこいつせ)命をまつる。《日本書紀》に,彦五瀬命は神武天皇の兄で,神武天皇東征のとき,ともに進み,孔舎衛坂(くさえざか)の戦で敵の流矢に当たって負傷,のち茅渟(ちぬ)の海より雄の水門を過ぎ紀伊国竈山に進んだとき薨(こう)じ,その竈山に葬ったとあるが,本社の後丘にその墓と伝えられるものがある。延喜の制で小社,その墓は諸陵寮式に〈竈山墓,彦五瀬命,兆域東西一町,南北二町,守戸三烟〉とある。すなわち,早くより神社と墓と結びついていたとみられる。《紀伊国神名帳》に従四位上とあり,旧官幣大社。1938年の祭神2600年大祭を機会に境内を整備拡張した。例祭は10月13日。
執筆者:鎌田 純一
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和歌山市和田に鎮座。祭神は神武(じんむ)天皇の皇兄、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)。神武(じんむ)天皇の東征の途中、彦五瀬命は孔舎衙(くさか)坂で長髄彦(ながすねひこ)と戦った際、流れ矢にあたり負傷したため軍は進路を転じ、紀国雄水門(きのくにおのみなと)から竈山へ向かったが、この地で没したと伝える。神社の背後にその墓があり、『古事記』には陵と記される。『延喜式(えんぎしき)』では国幣小社とされ、古くより皇室の崇敬が厚かった。1585年(天正13)、豊臣(とよとみ)秀吉の根来寺(ねごろじ)征伐の際、兵禍により社地、社領などを失ったが、1669年(寛文9)、徳川御三家の一つ和歌山藩徳川頼宣(よりのぶ)によって再建され、以後歴代藩主の厚い崇敬を受けた。旧官幣大社。本殿の左わきには神日本磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと)ほか2神を祀(まつ)る左脇殿(神武天皇社)がある。例祭は10月13日。
[飯尾直樹]
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