皇后の位につくこと。皇后冊立ともいう。天皇の嫡妻を皇后といい,令制では内親王を皇后としたが,729年(天平1)聖武天皇は藤原光明子を夫人から皇后に立てて令制の原則が崩れた。ついで平安時代に醍醐天皇の女御藤原穏子が皇后に立てられて以来,女御から皇后に冊立される例が多くなった。また皇后が後宮内の一地位となって,天皇と配偶関係がなくても立后が行われるようになった。しかし室町時代以降,江戸時代初頭に至る間,立后は中絶し,後水尾天皇の女御源和子を皇后に冊立して立后の儀が再興された。立后は光明皇后以来,必ず詔書(宣命)をもって行い,その時期は即位の儀の後を例とするが,とくに一定しない。また皇太子妃であっても,皇太子が皇位に即くと立后の儀が行われた。かくのごとく立后は大婚と一致しないが,明治維新後,その制は変化した。すなわち明治天皇と皇后美子の大婚と同時に立后の儀が行われ,立后の詔書が発せられて以来,この方式は現制にも踏襲されている。しかし皇太子妃は皇太子が践祚すると同時に皇后となるため,立后の詔書は必要としない。
執筆者:米田 雄介
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