竟陵派(読み)きょうりょうは(英語表記)Jìng líng pài

改訂新版 世界大百科事典 「竟陵派」の意味・わかりやすい解説

竟陵派 (きょうりょうは)
Jìng líng pài

中国,明代末期(16世紀末~17世紀初め)に活躍した文学者のグループで,鍾惺譚元春を代表者とする。ともに湖北省竟陵の出身。明代の文壇は16世紀初めから〈古文辞〉を標榜する擬古主義が大勢を占め,公安派など一部の革新派による批判も,その大勢を崩すことはできなかった。鍾・譚の両人は協力して《古詩帰》15巻と《唐詩帰》36巻を著した。総称して《詩帰》という。これは注釈でなくて評論であり,しかも従来の解釈を初めから無視して,彼ら独自の奔放闊達な批評や印象のみを語った破天荒な詩論書であった。これは人々を擬古主義の呪縛から解き放ち,たちまちベストセラーになって,《唐詩選》をも圧倒した。清代になると彼らの粗放な〈無学〉さが指弾されて顧みられなくなったが,いっさいの先入見から離れて詩を主体的に読みとろうとする情念燃焼は,まさに画期的なものであった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「竟陵派」の意味・わかりやすい解説

竟陵派
きょうりょうは

中国、明(みん)代の詩派。公安派にやや遅れ、明の万暦・天啓年間(1573~1627)に同じく古文辞派を攻撃した湖北省竟陵出身の鍾惺(しょうせい)、譚元春(たんげんしゅん)らの詩派。その主張は公安派の袁宏道(えんこうどう)のそれを受け、模倣を否定して自己の真情を重視するものであったが、そうした真詩をつくるにふさわしい精神的努力を自らに課した点において、それと相違している。この主張に基づき、古人の真詩を鍾譚2氏が選択批評した『詩帰』(『古詩帰』15巻、『唐詩帰』36巻、1617刊)は、明の天啓年間(1621~27)から清(しん)の乾隆(けんりゅう)年間(1736~95)にかけ一世を風靡(ふうび)した。しかし詩の実作はその主張にそぐわず、みるべきものはない。竟陵派の作品としては、むしろ劉侗(りゅうどう)の『帝京(ていけい)景物略』に代表される散文をあげるべきであろう。

[大塚秀高]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竟陵派」の意味・わかりやすい解説

竟陵派
きょうりょうは
Jing-ling pai

中国,明末の文学の一流派。湖北の竟陵 (天門県) 出身の鍾惺 (しょうせい) と譚元春が中心人物となっていたのでこの名がある。古文辞派の擬古主義に反対する点,袁宏道らの公安派と同じ主張であったが,軽薄卑俗に走った公安派末流をさらに批判して「幽深孤峭 (こしょう) 」を標榜し,その立場から古代から唐にいたる作品を個性的に選び批評を加えた『古詩紀』『唐詩紀』を共編した。実作にあっても着想,表現の寂しさと深みを追求し大いに流行したが,やや現実から遊離して奇趣に陥ったとされる。

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世界大百科事典(旧版)内の竟陵派の言及

【中国文学】より

…これらに反対して宋詩のすぐれた点を見なおし,その長所を取り入れるべきだと論ずる人もあった。袁宏道(えんこうどう)(中郎)を中心とする公安派と,鍾惺(しようせい)らの竟陵(きようりよう)派とである。この論争は清朝まで尾を引く(日本では格調派と性霊派とよばれる)。…

※「竟陵派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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