公安派 (こうあんは)
Gōng ān pài
中国,明代後期に湖北省公安から出た袁氏三兄弟(袁宗道(1560-1600),袁宏道,袁中道(1570-1623))に代表される反擬古主義の文学者のグループ。もっとも彼ら自身はこう名のったことはなく,また3人それぞれ性向も資質も異なるが,ともに師事した李贄(りし)(卓吾)から,ものごとの真実を主体的に把握すべきことを学んだ。特に詩人肌の袁宏道は,いっさいの古典的規範を排して自己内奥の性霊(詩的エスプリ)のおのずからな流露こそが〈真詩〉を生むと主張した。高踏的ではあるが自由で個性的なその文学観は多くの支持者を得たが,文学運動にまでは発展しなかった。彼らはリベラルな文人ではあっても,行動者ではなかったからである。擬古主義の大勢をつきくずすには,次の竟陵派による具体的実践行動を待たねばならなかった。公安派が残した文学的功績は,むしろ小品の随筆や紀行文に代表される闊達で清新な文体であった。
執筆者:入矢 義高
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公安派
こうあんは
中国、明(みん)末文壇の一派。湖北省公安の袁宗道(えんそうどう)・宏道(こうどう)・中道3兄弟が中心となったのでその名がある。なかでも次兄の宏道(字(あざな)は中郎)が名高い。明の中期を支配していた李攀竜(りはんりゅう)、王世貞(おうせいてい)ら古文辞派の擬古主義に反対し、文学は時代とともに変遷があるべきだとして自由な発想と個性の価値とを強調し、詩文に「公安体」とよばれる清新な作風を開いた。文芸論では性霊すなわち詩人の精神の発露を尊び、詩文においては白楽天と蘇東坡(そとうば)とを重んじた。のち鍾惺(しょうせい)らの竟陵(きょうりょう)派が出てこれを受け継ぐところがあり、一種の直観主義を唱えた。乾隆(けんりゅう)期の袁枚(えんばい)の性霊説も公安派の主張の延長線上にある。民国初めには周作人、林語堂らによるこの派の小品文再評価があった。
[村山吉廣]
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公安派
こうあんは
Gong-an-pai
中国,明末の文学の一流派。袁宏道を中心とし,兄の宗道,弟の中道の3兄弟が提唱したもので,その出身地が湖北の公安であるところからこの名がある。やや前に出た李卓吾の影響を受け,清新な着想を重んじ,自己の精神すなわち「性霊」の発露による自由な個性の表現を主張して,それまで文壇の主流であった古文辞派の擬古主義に抗し,次第に多くの共鳴者を得たが,のちその末流は浅薄卑俗に陥り,また支持者の銭謙益が清朝から弾圧されたため衰えた。
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世界大百科事典(旧版)内の公安派の言及
【中国文学】より
…これらに反対して宋詩のすぐれた点を見なおし,その長所を取り入れるべきだと論ずる人もあった。袁宏道(えんこうどう)(中郎)を中心とする公安派と,鍾惺(しようせい)らの竟陵(きようりよう)派とである。この論争は清朝まで尾を引く(日本では格調派と性霊派とよばれる)。…
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