中国、明(みん)末の詩人。字(あざな)を伯敬(はくけい)、号を退谷(たいこく)といい、竟陵(きょうりょう)(湖北省天門県)に生まれる。1610年(万暦38)の会試合格のおり雷思霈(らいしはい)を師と仰ぎ、公安派の影響を受けた。山寺にこもって深幽孤峭(こしょう)と評される詩境を開き、同郷の譚元春(たんげんしゅん)と著した『詩帰(しき)』が一世を風靡(ふうび)するに及び、竟陵派の首魁(しゅかい)と目された。行人(こうじん)並びに陪都南京(ナンキン)の閑職にあって、その主張とする真詩を求めて山水に遊ぶ一方、自らを人から遠ざけたため、のち銭謙益(せんけんえき)からは詩妖(しよう)、鬼趣と酷評された。父の死により福建提学僉事(ていがくせんじ)を辞職、帰郷するおり武夷山(ぶいさん)に遊んだことが在任中の科挙不正ともども弾劾され、晩年は不遇で、『楞厳経(りょうごんきょう)』に沈潜するに至った。その死は五戒を受けて断残と名のって3日後の1625年(天啓5)6月21日である。『隠秀軒集』32巻がある。
[大塚秀高]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国,明代末期(16世紀末~17世紀初め)に活躍した文学者のグループで,鍾惺と譚元春を代表者とする。ともに湖北省竟陵の出身。…
…これらに反対して宋詩のすぐれた点を見なおし,その長所を取り入れるべきだと論ずる人もあった。袁宏道(えんこうどう)(中郎)を中心とする公安派と,鍾惺(しようせい)らの竟陵(きようりよう)派とである。この論争は清朝まで尾を引く(日本では格調派と性霊派とよばれる)。…
※「鍾惺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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