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章士釗 しょう ししょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

章士釗 しょう-ししょう

1881-1973 中国のジャーナリスト。
光緒(こうしょ)7年2月21日生まれ。日本とイギリスに留学。辛亥(しんがい)革命後帰国し,「民立報」で共和主義をとなえる。大正3年日本に亡命,「甲寅雑誌」を発行して反袁世凱(えん-せいがい)の論陣をはる。段祺瑞(だん-きずい)政府の司法総長,冀察(きさつ)政務委員会委員などをつとめ,中華人民共和国成立後は全国人民代表大会代表。1973年7月1日死去。93歳。湖南省出身。字(あざな)は行厳。筆名は孤桐,秋桐など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

しょうししょう【章士釗 Zhāng Shì zhāo】

1882‐1973
中国の文人政治家。湖南省長沙の人,字は行厳。日本,イギリスに留学,辛亥革命後に帰国し,《民立報》によって共和主義の論陣を張った。のち《甲寅》を東京で発行して反袁闘争に参加,政学系に属して広東軍政府秘書長にもなった。また段祺瑞政府の司法総長として1926年,三・一八事件(日本軍による大沽口占拠に抗議した民衆を弾圧した事件)を起こし,36年には冀察(きさつ)政務委員会の要職に就いた。しかし抗日の立場にたち,解放の際には北京にとどまった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

章士
しょうししょう / チャシーシチャオ
(1881―1973)

中国の政治家、学者。湖南(こなん)省長沙(ちょうさ)の人。字は行厳。清(しん)末『蘇報(そほう)』などで排満革命論を鼓吹、黄興(こうこう)らと華興会を結成。弾圧され日本、イギリスに留学。辛亥(しんがい)革命後帰国し『甲寅(こういん)雑誌』などで反袁世凱(えんせいがい)の論陣を張るが、革命派とはたもとを分かち政学系に属す。1924年段祺瑞(だんきずい)政権の司法総長兼教育総長、女師大事件で辞職。1949年国共和平会談の国府代表となるが、政治協商会議に出席。新中国成立(1949)後、同議員、全国人民代表大会湖南省代表などを務める。1973年香港(ホンコン)で客死。桐城派の流れをくむ文章家として著名。著書には『柳文指要』など。[阿川修三]
『高田淳著『章炳麟・章士・魯迅――辛亥の死と生と』(1974・龍渓書舎)』

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