日本歴史地名大系 「竹田城下」の解説
竹田城下
たけたじようか
かつての城下町はほぼ現在の竹田町に含まれるが、近世後期に拡大した町域や城跡は竹田の内で、そのほか村方の土地も存在した。大野川(白滝川)の支流
城下町の支配は当初竹田村庄屋が行っていたが、承応三年(一六五四)町奉行が設けられ、太田源右衛門と沢儀右衛門が任命された。元禄九年(一六九六)町の出入口を警備する口屋番所が七ヵ所に設けられ、番人は当初二八人、宝永五年(一七〇八)一五人となる(温故集)。町の東側に武家屋敷町が設けられ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報