竹田昌慶(読み)たけだしょうけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹田昌慶」の意味・わかりやすい解説

竹田昌慶
たけだしょうけい

[生]?
[没]天授6=康暦2(1380).5.25. 京都
室町時代の医師正平 24=応安2 (1369) 年明に渡り,金翁道士から医術を学ぶ。ここで名を明室と改め,道士の娘と結婚。明の太祖皇后難産を助け,その功により安国公に封じられた。天授4=永和4 (78) 年,彩色本草書,その他の医書,銅人形などをたずさえて帰国足利義満侍医となり,法印に叙せられた。家督は弟善慶が継ぎ,代々医官として江戸幕府にも仕えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹田昌慶」の解説

竹田昌慶 たけだ-しょうけい

1338-1380 南北朝時代の医師。
暦応(りゃくおう)元=延元3年生まれ。医師竹田家の祖。明(みん)(中国)にわたり,金翁道士について医術をまなび,道士の娘を妻とした。永和4=天授4年明の医書や鍼灸(しんきゅう)治療の経穴(けいけつ)をしめす銅人形を手に帰国。のち後円融天皇の侍医となった。康暦(こうりゃく)2=天授6年5月25日死去。43歳。号は明堂。法名は実乗

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