朝日日本歴史人物事典 「竹田昌慶」の解説
竹田昌慶
生年:暦応1/延元3(1338)
南北朝時代の医者。太政大臣藤原公経の子。幼名は亀千代丸,号は明室,通称は実乗僧都。故あって兄公定と共に伏見竹田庄に蟄居後竹田を姓としたという。応安2/正平24(1369)年渡明して金翁道士について医を学び,永和4/天授4(1378)年多くの医書,経穴に必要な銅人形を携えて帰国,金翁伝授の牛黄円を朝廷と幕府に献じ,これが竹田家の家伝薬となった。法印に叙せられ,のち剃髪して竹田仙と号し,中国古代の名医になぞらえて「日本扁鵲」と呼ばれた。京都に残る「元竹田町」の町名は,移転前の竹田法印家の旧住地。子孫は代々名医を輩出,室町幕府に続き徳川幕府にも仕えた。<参考文献>宗田一「竹田法印家と牛黄円」(『井筒薬品ニュース』36号)
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報