竹田昌慶(読み)たけだ・しょうけい

朝日日本歴史人物事典「竹田昌慶」の解説

竹田昌慶

没年:康暦2/天授6.5.25(1380.6.28)
生年:暦応1/延元3(1338)
南北朝時代の医者。太政大臣藤原公経の子。幼名は亀千代丸,号は室,通称は実乗僧都。故あって兄公定と共に伏見竹田庄に蟄居後竹田を姓としたという。応安2/正平24(1369)年渡明して金翁道士について医を学び,永和4/天授4(1378)年多くの医書,経穴に必要な銅人形を携えて帰国,金翁伝授の牛黄円を朝廷と幕府に献じ,これが竹田家の家伝薬となった。法印に叙せられ,のち剃髪して竹田仙と号し,中国古代の名医になぞらえて「日本扁鵲」と呼ばれた。京都に残る「元竹田町」の町名は,移転前の竹田法印家の旧住地。子孫は代々名医を輩出,室町幕府に続き徳川幕府にも仕えた。<参考文献>宗田一「竹田法印家と牛黄円」(『井筒薬品ニュース』36号)

(宗田一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「竹田昌慶」の解説

竹田昌慶 たけだ-しょうけい

1338-1380 南北朝時代の医師。
暦応(りゃくおう)元=延元3年生まれ。医師竹田家の。明(みん)(中国)にわたり,金翁道士について医術をまなび,道士の娘を妻とした。永和4=天授4年明の医書や鍼灸(しんきゅう)治療の経穴(けいけつ)をしめす銅人形を手に帰国。のち後円融天皇の侍医となった。康暦(こうりゃく)2=天授6年5月25日死去。43歳。号は明堂。法名は実乗。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「竹田昌慶」の解説

竹田昌慶
たけだしょうけい

[生]?
[没]天授6=康暦2(1380).5.25. 京都
室町時代の医師。正平 24=応安2 (1369) 年明に渡り,金翁道士から医術を学ぶ。ここで名を明室と改め,道士の娘と結婚。明の太祖の皇后難産を助け,そのにより安国公に封じられた。天授4=永和4 (78) 年,彩色本草書,その他の医書,銅人形などをたずさえて帰国。足利義満の侍医となり,法印に叙せられた。家督は弟善慶が継ぎ,代々医官として江戸幕府にも仕えた。

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