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第二戦線 だいにせんせんsecond front

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

第二戦線
だいにせんせん
second front

敵の勢力を分散させるため,主戦線以外に設ける戦線。狭義には,第2次世界大戦中,連合国の間で対立を呼び,冷戦の発端の一つとなった問題をさす。すなわち,1941年6月ドイツの電撃的攻撃を受けたソ連は,イギリスアメリカに対し北フランスへ上陸してドイツの勢力を分散させるよう繰返し要請したが,イギリス,アメリカは 42年 11月に北アフリカ第二戦線を開き,44年6月になってやっと北フランスへ上陸した。

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百科事典マイペディアの解説

第二戦線【だいにせんせん】

敵を牽制(けんせい)し,その戦力分散を図るため主作戦方面以外に設定する戦線。第1次大戦では連合国側がバルカン地区に設定。第2次大戦ではドイツの攻撃で苦境に立ったソ連の要求により,テヘラン会談の決定を経て1944年ノルマンディー上陸作戦後形成された西部戦線をいう。
→関連項目第2次世界大戦

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

第二戦線
だいにせんせん
second front

戦争において、敵方の戦力を分散させるために、主要な戦線以外に設ける戦線。第一次世界大戦においては西部戦線・東部戦線が第一戦線であったのに対して、バルカン戦場が第二戦線となった。第二戦線の形成が歴史上でとくに問題となったのは、第二次大戦においてである。
 ドイツの対ソ連攻撃開始以後、ドイツの主要兵力はソ連すなわち東部戦線に集中した。ソ連は、第二戦線として米英軍がフランスへ上陸してドイツ軍の背後を牽制(けんせい)することを要求し、1942年5月にはルーズベルト、チャーチルによって第二戦線を設けることが確約された。しかし、フランス上陸作戦よりも北アフリカ作戦およびイタリア上陸作戦を重視するチャーチルの主張によって、米英軍は南ヨーロッパに作戦を展開し、ソ連の不満を買った。テヘラン会談(1943.11)において第二戦線の設定が確認され、44年6月、ようやく米英軍は北フランス、ノルマンディーに上陸して第二戦線を形成した。しかし、この第二戦線形成の遅延とソ連の自力による総反撃は、ソ連の戦後ヨーロッパに対する発言権を強めた。[斉藤 孝]

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